サッカーダイジェストWeb様の以下の記事を拝読しました。
良い記事ですし短いので、是非おすすめです。
が、どうしてもお時間のない方のために結論を書くと、以下。
「人に評価してもらいたければ、人に評価してもらいたいと思うな」
えーと、仰る通りかと。
「誰かに評価してもらいたい」という気持ちが強くなると、純粋な気持ちがなくなって歪んでしまいがちです。
またこのことが最も大きな目的になってしまうと、それが「手段の目的化」を引き起こす原因にもなります。
本田氏のお答えで十分だと思いますが、ついでに私の答えも残しておきます。
「人に評価してもらいたいって?!
そう思わない方が良いんでない?!」
って、本田氏の答えとあんまし変わらないですねー。
ただし、理由がありまして、それが以下。
「人の評価って、あんまし当てにならないですよ?!」
それが当てになるものだったら、日本はもうちょいお金持ちになっていると思いませんか???
当てにならない(=評価が正しくない)からこそ、貧乏ぐるぐる巻きになっているとは思いませんか???
掲示板やSNS等で、会社の愚痴を書いている人は結構おられます。
中でも、人事査定やその他の評価についてのものも結構あります。
もちろん中には、そういうことを書いている人の「自分に対しての評価が甘過ぎる」という場合もあるかと思います。
ですが逆に言えば、その全部が全部100%それに該当する、ということもないでしょう。
とはいえ、中には「自分に対しての評価が甘過ぎる」という人がいるのも事実です。
私が労働者としての一番長いキャリアが電話のオペレーターなのですが。
その時のリーダーで非常に仕事のできる人がいました。
言葉遣いも丁寧で応対品質も良いし、電話の内容も完結でわかりやすく通話時間も短いから単位時間当たりの処理件数も多いし、親切でオペレーターの指導も上手いという、まさに非の打ちどころがないリーダーでした。
……一つだけ、大きな欠点がありましたけど。
それは当日欠勤がある、ということです。
このリーダーは昔から虚弱体質だと仰っていました。
で、同じような虚弱体質のリーダー(仮名でA氏とします)がいて、表面上は仲良かったのですけれども、実はそうでもなく。
「私の方が遥かに仕事ができるのに、同じような虚弱体質で同じように当日欠勤のあるA氏の方が査定が良いのは、納得できない」
そのようなことを言って、A氏を目の敵にしていたらしいです。
確かに仕事ができるできないで言えば仰る通りですが、A氏はこの仕事のできるリーダーの言う「同じよう」な当日欠勤ではありませんでした。
つまり、このリーダーは「ここぞ!」という時に当日欠勤をやっとったんですね(A氏の欠勤はそういう時以外でした)。
で、そこんとこ彼女は自分に甘かったんですよ。
「この日にたまたま体調が悪くなったんだから、仕方がない」
それが彼女の言い分でしたが、会社からすると「どうしても来て欲しい時にいないんだから、仕方がない(査定が低くなっても)」という話になると思いませんか。
でもね、これはこのリーダーだけの話じゃないですよ?
そもそも「会社というところは営利目的で成り立っている」とか、そういう大事なことをちゃんと学校で教えていないからこうなるんじゃないですかと。
(そこら辺の話は以前にも書いたことがありました。
ご興味がありましたら以下の記事もよろしくお願い致します。
以上です)
というわけで、結論は「(自分も他人も)評価すること自体日本人は苦手だから、あまりそこら辺は気にしないで、最善を尽くすことを考える方が良いのでは?」という、本田氏と比較して「何やこれは!」という、身も蓋もないものでした。