前回の日記で、以下の引用をさせて頂いていました。
(関ヶ原で敗北した後に処刑される寸前の話・ウィキペディアより引用)
三成が京都の町を引廻されている最中に水が飲みたくなったので、警護の者に伝えたところ、水がなかったので柿を差出された。三成は「痰の毒であるから食べない」と言って断った。「間もなく首を刎ねられる人が毒を断つのはおかしい」と笑われたが、三成は「そなた達小物には分からないだろうが、大義を思う者は、首をはねられる瞬間まで命を大事にするものだ、それは何とかして本望を達したいと思うから」であると答えた。
以上ですが。
ここで「間もなく首を刎ねられる人が毒を断つのはおかしい」と笑った人について。
こんな書かれ方をしていると「何この人、感じ悪ぅー」って思いませんか。
しかし、この後に以下の記載があります。
なお、横浜一庵から柿100個が送られた際の礼状に「拙者好物御存知候」と書いていることや、他にも三成への柿の贈答が記録されたことから、三成の好物が柿だったことは広く世間に知られており、柿の逸話とも関連がある可能性がある。
もしも柿を差し出した人が「石田三成は柿が好き」ということを知っていたら、どうでしょうか。
柿が好きと聞いているから、せっかくだから柿を食べてもらおうと思って差し出したとしたら。
「何この人、いい人じゃーん」てなりませんか?
まぁ、それだけの話ですけども。
もし私がこの「柿を差し出した人(でかつ、せっかくだから好きな柿をと思って差し出した」のなら「何この人、感じ悪ぅー」と後世の人に思われるのは嫌です。
書きたかったことは以上ですが、これだけでは何なので。
その後の石田三成は斬首され、首が三条河原に晒された後、生前親交のあった春屋宗園、沢庵宗彭に引き取られて京都大徳寺に葬られました。
この沢庵宗彭こそ、沢庵漬けの名前の由来となった僧侶でした。
江戸に戻った沢庵が創建した東海寺では「初めは名も無い漬物だったが、ある時徳川家光がここを訪れた際に供したところ、たいそう気に入り、『名前がないのであれば、沢庵漬けと呼ぶべし』と言った」と伝えられている。異説として沢庵和尚の墓の形状が漬物石の形状に似ていたことに由来するという説もある。なお東海寺では禅師の名を呼び捨てにするのは非礼であるとして、沢庵ではなく「百本」と呼ぶ。
また別の説によると、元々は「混じり気のないもの」という意味の「じゃくあん漬け」、あるいは、「貯え漬け(たくわえづけ)」が転じたとも言われている。
また黄色ではなく白い沢庵漬けを、べったら漬と言います。
ちなみにですが、私は沢庵漬けもべったら漬も、あまり好きではありません。
……って、そんな情報要らんか。