以前から書いておりますが、私は家事労働を含めたあらゆる労働に不向きであり、無能としか言いようがない状態です。
そのため、母親にも向いていないだろうということにも、かなり早くから気付いてはおりました。
しかし、あえて「出産しないことを選択している」と堂々と言える年齢から、このままいけば「産むのは不可能」になるだろうなという時が迫ってきますとですね、さすがに迷うに迷うもんですねぇー。
そんな時、上の弟が自殺したわけです。
通夜は私と母が一晩遺体に付き添いました。
うちの宗派では、樒に水を含ませて故人の唇を濡らすという習慣がありました。
で、夜中に母が泣きながら弟にそれをしているわけですよ。
私は起き上がって正坐して、その光景を後ろから眺めていました。
何故か、猛烈な怒りが湧いてきました。
悲しみではありませんでした(弟には悪いけど)。
「子供産んだら幸せになると私に言ったのは誰か?
目の前で泣く母を見ても、そう言えるのか?
私はその人物に、是非会いたい。
子供を産めば幸せになれると言った、その人物に」
……ああ、目の前にいましたね。
以前の母は私に、以下のようなことを言っていました。
「貴女のお父さんには良い感情は何もないげど、貴女達という子供を授かったことはこの上ない私の幸せだ」
「だから、貴女も子供を産みなさい。幸せになれるから」
説得力というものがありませんよね。
私はこの時、決意しました。
一生出産しないことを。
そしてその後、視線をずらして横たわる弟を見ました。
その弟は私と違って、聞き分けの良い子でした。
親や学校の先生の言うことをよく聞いて、惜しまず努力を重ねてきた弟です。
私はあんまり勉強しなくても、そこそこ学校の成績は良い子供でした。
それに対してこの弟は、努力して成績を伸ばしていくという子供です。
最終的に大学入学の時点で追い抜かれ、私よりも偏差値の高い大学に進学しましたが、その後中退。
それからいろいろあって、その時は私の目の前に横たわっていたのですが。
私は思いました。
何故、親や学校の先生の言うことをよく聞いて努力を重ねてきた弟がそこに居るのか?
本来ならば、親や先生の言うことをろくに聞かなかった私のはずではなかったのか?
世の中、間違っとる!!!
……と、思ったのですが。
先ほどの出産しないと思った時とは違い、世の中間違っているとは思ったものの、何が間違っているのかはすぐにはわかりません。
しばらく考えてみたのですが、やっぱりわかりません。
この後もずっと考え続けていたのですが、それでもわかりません。
近年になって、それがわかりました。
一言で言えば「教育が間違っていた」ということですけれども。
最近になって、もっとはっきりと、具体的に説明できるほど、深くわかることができたわけです。
具体的に、教育のどの部分に誤りがあるのかということを。
その話はまた、次回とさせて頂きます。
(2022/3/30 追記
「教育のどの部分に誤りがあるのか?」の答えについて、この記事に書きました)