私は元々、物忘れが激しくうっかりミスも多いという、恐らくかなりきっついADHDを持っていると思われる性質でしたが。
最近それが激しくなってきていまして、それを全部加齢のせいにしていました。
そしてそのことがさらに、激しさを増す一因となっていたことに気付きました。
実は私の持つ別の欠点が、それを加速していたのではないかと。
その欠点が、タイトルの「現在を軽視すること」ではないかと。
そのように思ったのです。
「日本人は現在を大切にし過ぎる。
時間的にも空間的にも概念・観念も」
これは私の持論ですが、だからと言って現在を軽視して良いわけではありません。
わかっているつもりでしたが、これも私の持論「知っているのと使えるのは違う」で言えば、知っているだけで使えないしそれはわかっていると言えないのではないか。
そのようにも思ったのです。
前回の記事で、私は以下のように書いていました。
逃げていた課題とは「如何に上手く伝えるか?」です。
この先には「如何にお金に換えるか?(=マネタイズ)」というのもありますが、このために時間と手間、何より頭を使うのが嫌で、あえてやっていませんでした。
まーそれは良いのですが、その手前の「如何に上手く伝えるか?」は、やらなければならないことであるにもかかわらず、ほとんどやっていませんでしたね。
何故なら、苦手だからです。
現在、私の書いた文章を読んで頂いている人に対して、もっと注意するべきだったのではないかと。
であれば、何とかわかりやすくしようという努力が必要なのは、当然のことです。
当初から常に、このことに気を付けて書くようにしていれば、ここまで苦しむことはなかったのではないか?
ということに、今頃になって気が付きました。
あ痛たた(>_<)
車の両輪と同じで、現在も未来も大事です。
その未来のことを考えるために、過去も大事です。
すべて大事なことですけれども、極端に言えば「現在に人生が終われば、その先の未来はない」わけですから。
優先順位第一位はやっぱ、現在なんですよね。
当たり前のことですが。
当たり前のことなのに。
ここ数日に、いろいろやらかして、反省。
この文章は自戒の念のために書きました。