後編の最後の図で「日本だけの話ではない?」と疑いましたが、日本には非常に当てはまる話だと思いました(ので、訂正します。ほぼ日本の話と言えます)。
で、何でそう思ったのかと言いますと、フランスで考えてみたからです。
以前書いたこの記事で、以下の図を描いていたのを思い出しました。
日本人が得意な「伝統的行為」とは、日々の生活でいちいち思考することなくこなしているものを指します。
例えば「朝起きて、ご飯食べて、歯を磨いて、身支度をして、出社する」みたいなものですが、ここで「めんどくさいから今日は歯を磨かない」ということがよくある人とない人がいます。
この「めんどくさい」という感情を優先するかしないかで「伝統的行為が強い人か、感情的行為の強い人か」に分かれるわけです。
ただし、逆に「口の中が気持ち悪い」という感情に突き動かされることで、毎日の歯磨きを欠かさないようにしているという人もいるでしょう。
つまり「何も考えずにルーチンワークでやっている人は伝統的行為で、何らかの感情に基づいての行為は感情的行為である」という話になります。
(コロナ禍の酷い時にもフランス国民は政府の方針に従わず、外出する人が多かったため日本よりも被害が酷かったそうですが、その理由に「個人の自由」という価値観が強い国民性だったということが挙げられます)
ここら辺のことを考えて、図を作成しなおしたものが以下です。
補足として、全人類共通で「生まれた時点では、産声を上げて泣くところから始まる」わけですから「感情的行為(かつ「伝統的行為」と「合理的行為」から最も遠いところ)」から始まります。
そこからまずは親や祖父母などの家族から、教育を受けて社会的なルールを学んでいきます。
その後は地縁や学校などの教育機関等、家族以外の人々がかかわる度合いが多くなっていくわけですが、ここで国民性の違いによって「伝統的行為」の方により強く傾くか否かというところが異なってくるわけです。
(日本は災害の多い国であり、しかも歴史上かなり長い間に稲作中心の村社会が基盤となっていたがために、個人が社会的に守らなければならない強いルールが多数存在し、それらはどんなことがあっても守るべきであるという同調圧力もあります。
それが生きづらさの問題の遠因にもなっており、先進国の中で比較的自殺者が多い理由にも繋がっている、と私は思います。
この辺りはフランスを見習って「個人の自由」というものを尊重する教育を多少は取り入れた方が良いとも思うのですが……多少ですよ多少)
また、同じ「価値合理的行為」の範囲内でも、そのような会社を経営する人と芸術家では「目的合理的行為」により近いか否かは分かれるでしょう。
会社というものである以上「営利目的」というものがありますから、経営者は如何に芸術を扱う会社と言えども無視することはできません。
その一方で、芸術家の中にはそのような目的を持たず「自らの心の赴くままに作品を生み出す」という人もいます(例えば山下清画伯とか。ただし実際は例のドラマほど知的な障害は強くなかったそうです)。
このような芸術家の場合は右上付近となり、即ち「価値合理的行為」の中でも「目的合理的行為」から遠い右側に位置する、ということになるでしょう。
と、まぁ、今回はこのようなことを考えてみました。