京都市街地から離れた静かな山里、大原。
田舎の素朴な風景の中に、有名なお寺がいくつかあります。
一番有名で参拝者の多いのが三千院。
今回訪ねたのは、有名ながらもひっそりとたたずむ静かなお寺、寂光院です。
平清盛の娘で安徳天皇の母であり、波乱万丈な人生を過ごした建礼門院徳子(平徳子)が晩年を過ごしたお寺。
そして、平家物語の最後を飾る、後白河法皇が建礼門院に会うためにここ寂光院を訪ねる「大原御幸」で有名なお寺なのです。
寂光院は波乱万丈な建礼門院の最後にふさわしい、緑に囲まれた静かなお寺でした。
大原は京都盆地の北東部の周りを山に囲まれた狭い平地です。
大原には鉄道は通っていないため、バスで向かいます。
京都駅や四条河原町など、京都市街からたくさんバスが出ているので便利。
今回は、京都市地下鉄烏丸線の終点、国際会館駅から京都バスに乗ります。
市街地のターミナルとしてはここが一番大原と距離が近いのです。
バスで20分ちょっとで、大原バスターミナル。
山がすぐ背後に見えて、自然の中のターミナルですね。
バスターミナルを出ると、そこはもう緑。
寂光院へはバスターミナルから15分ほど歩きます。
その歩く道は「大原女(おはらめ)の小径」と名付けられ、よく整備されていました。
大原女の小径を歩きます。
とても景色が良くて、歩くのが退屈ではありません。
素朴な山里の景色が次々と現れるので、写真を撮りつつ歩いてゆくと15分ではたどり着きませんねw。
京都盆地は山に囲まれており、その山に点在する集落は今もこのような昔ながらの光景を作り出しています。
さすがに茅葺きの家はもうほとんどなくなりましたが、さらに北の美山には「かやぶきの里」として茅葺屋根のお家がまだ残っています。
景色を見つつ歩いている間に、寂光院に到着しました。
寂光院は大原の狭い平地の中でも端の山の麓にあり、背後はもう山です。
緑がとても鮮やかですね。
石段を登って境内に入りましょう。
山門の向こうに本堂が見えます。
寂光院は有名なお寺ですが、参拝者はまばらでした。
もちろんコロナのために外出を自粛している人も多いのでしょうが、そもそも人が大挙して来る場所ではなく、ひっそりと佇む雰囲気が素敵です。
寂光院本堂。
こじんまりとした建物が良い感じです。
近寄ってみると新しい雰囲気で、焼失により2005年に再建された建物とのこと。
中にはご本尊の「六万体地蔵菩薩」が安置されています。六万体って?
像の中にちっちゃな地蔵菩薩像が3万体、そして周囲の棚にも小さな地蔵菩薩像が3万体あって、合計6万体の地蔵菩薩があったので六万体地蔵菩薩。
重要文化財です。
でも残念ながら、2000年に放火により本堂と六万体地蔵菩薩は焼けました。犯人は捕まっていません。
現在は写真にある新しく作られた像が安置されており、炭化しながらもなんとか残った旧本尊は収蔵庫に保管されているとのことです。
本堂の横の四方正面の池。
背後の山の水が池を作っていて、こじんまりとしつつも緑が美しいですね。
鯉も泳いでおり、優雅で涼しげです。
本堂から少し離れた場所に、建礼門院徳子 御庵室跡があります。
ここは文字通り、建礼門院徳子(けんれいもんいんのりこ)が住んでいた庵の跡です。
ここで建礼門院と平家物語の話を少し。
建礼門院は平家物語であまりにも有名。悲劇のヒロインかと思います。
建礼門院徳子は平清盛の娘で高倉天皇と結婚し安徳天皇の母、平氏の女性としてこの世の栄華を極めました。
しかし、夫の高倉上皇は崩御し、父の平清盛も死去。
平氏の栄華は消え徳子も都を追われ、かの有名な壇ノ浦まで追い詰められます。
平氏はこの壇ノ浦の戦いでも負け滅亡。
まだ6歳だった我が子の安徳天皇と徳子の母の平時子は入水し、亡くなられました。
このとき徳子も入水しますが、助けられ生き残ったのです。
母や幼い我が子まで失ってしまった徳子の悲しみはいかほどに大きかったでしょうか。
その後、徳子は京都に返され出家し、長楽寺というお寺にしばらくおられました(諸説あり)。
この長楽寺は八坂神社の奥の円山公園のさらに奥にあります。
僕も何度か訪ねており、記事にもしています。
さらにその後、京都に大地震が襲い建物が壊れてしまったため、建礼門院はここ大原の寂光院に移られました。
晩年は寂光院で我が子の安徳天皇と平家の菩提を弔いながら、静かに過ごされたのです。
そんなおり、この人里離れた大原・寂光院へ一人の訪問客がありました。
それは驚くべき方でした。
一体どなたでしょう?
静かに隠棲する建礼門院徳子を訪ねたのが、後白河法皇。
お忍びでの訪問です。
後白河法皇は平清盛と対立し、平氏追討宣旨を下した張本人。
この平氏にとっては敵の権化みたいな方(と断言できないくらい関係は複雑ですが)が突然やって来られたのです。
後白河法皇が大原を訪ねた時のことは平家物語の「大原御幸(おおはらごこう)」に書かれており、これが平家物語のフィナーレになります。
ここ寂光院にて、徳子は自らの人生を仏教の世界観である六道になぞらえて振り返って後白河法皇に語り、後白河法皇は涙したということです(平家物語・六道之沙汰(ろくどうのさた))。
徳子は「これらは六道に違いないことと思いました」と結び、後白河は「これほどはっきりと六道を見たという体験はたいへん珍しいことです」と涙を流した。
夕陽が傾き寂光院の鐘が鳴ると、後白河は名残惜しく思いながら涙を抑えて還御した。
一行を見送った後、徳子は「先帝聖霊、一門亡魂、成等正覚、頓証菩提(先帝の御霊や一門の亡魂が正しい悟りを開いて、すみやかに仏果が得られますように)」と祈った。
(Wikipedia 大原御幸)
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」ではじまる平家物語は、平氏の栄華盛衰の一部始終を身をもって経験し最後まで生き残ってしまった建礼門院徳子がこのように平家の栄華盛衰を語り、そして最後の居場所であるここ大原で死去する話で終わりを迎えるのです(平家物語・灌頂巻)。
すばらしいフィナーレかと思います。
この話を知っていると、寂光院の景色ひとつひとつの見え方さえ違ってくるようです。
盛夏でとても暑く汗が出ます。
建礼門院徳子御庵室跡の近くにこんな水が流れていて、とても涼しそう。
誰もいないので、こそっと手と顔まで洗います。
めっちゃ冷たくていい気持ち。
一面、苔に覆われていて落ち着きます。
建礼門院もこのような静かな場所で晩年を過ごされて良かったのでしょう。
寂光院は昔も今も山裾の緑に囲まれた静かなお寺。
いつまでもこの静けさが変わらないことを願ってやみません。
御朱印もいただきました。
「本尊 地蔵尊」と達筆で書かれています。
寂光院は尼寺。
御朱印の文字も細筆で、女性らしい優雅さが出ている感じがします。
皇室ゆかりのお寺なので、寺紋には菊の御紋が入っていますね。
帰り道。大原女の小径を戻ります。
夏の暑そうな空と雲が山の上に見えます。静かな山里の夏です。
京の都から離れた大原の地で心静かに過ごした昔の高貴な人々を偲びつつ、この静かな大原をあとにしました。
京の暑い夏はまだまだ続きます。
Camera: LUMIX G8
Lenses: LEICA 15mm F1.7, LUMIX 25mm F1.7, 42.5mm F1.7