パソコン。
パーソナルコンピューター。
コンピューターって、人間のコピーなのかも。分身的な?
「 人間の死 = 電源の入らないコンピューター 」
エネルギー源が、電力か熱かの違いだけで、同じだと。
初動にOSをインストールされた肉体が生まれる。
=新品のPC。
インプットによって、人間にしか成し得ないと思われてきた「創造性」だって、結局は入力と出力の間のコードと記憶容量、メモリーの違いなのかと。
不要なデータも必要なデータも、高頻度に利用されるデータもほとんど使われないデータも、ただ蓄積していく。
時々バグったり、壊れかけたり、突然変異的な動作があったり、ウイルスに感染したり。
利用を重ねると、動作が遅くなってきたり、部分部分のハードが損傷したり。
死ぬってなんだろうね?
命って何だろうね?
生命って。。。
何故悲しい?
命は尊い?
尊厳?
果たしてそうかなぁ?
敢えて、その常識に異論を唱えたい。
「 人間の死 = 電源の入らないコンピューター 」
同じじゃない?
それでよくない?
では、人間以外の生命は?
無数の動植物。ペットとか。
用途特化のコンピューターじゃない?
家庭用ゲーム機とか、。ペット?
スマホとか、。ペットだよね。
マイクロコンピューターや演算機能なんかも、様は動植物の位置付けで。。。
人間は、コンピューターを生み出すことで、命を再現したのかもしれない。
とにかく、命が消えることが、悲しいことだった。
そんな思いをしたくないと思った。
感謝、ありがとうと、笑って終わりを受け入れたい。
どう考えれば、悲しくなくて、ありがとうで、終わることができるか?
そう思って、、、たどり着いたのが、
「生命の終わりは、電源の入らないコンピューター」だと。
コンピューターだって、自己破壊(自殺)できるよね。
鶏とタマゴ的な、なんとも言えない錯乱に陥るけど、まぁどうだっていい。
電源の入る間は、愛でよう。しっかり。
電源が入らなくなったら、。
あぁ。お仕舞。
それだけ。
それだけ? でいいんじゃ?
それだけのことでいいんじゃ?
代替えがきかない?
だから尊い?
そうかなぁ?
記憶は、思い出は、伝播するよ?
そして、やっぱり消えていく。
ただ、過ぎていく。
ただ、始まって、
ただ、終わる。
電源の入らないパソコン。
今までありがとうね。
ん、、、? なんだか悲しくなる。。。
なんでだろう。。。
愛着?
愛? 愛情?
なんだか混乱するね。。。
なんだか悲しくなるのかな。やっぱり。
大切にしたい。
ここまで書き出してみて、
なんだか、納得いかなくなってきた。
人間の死を、悲しく思わなくて済むように、、、と思って、答えを得たと思ったのに。。。
やっぱ違ったかなぁ。。。
感情ってなんだろうなぁ。。。
脳内物質、ホルモンとかそういう科学的な物質の為していることだと思うんだよね。
やっぱり、エネルギー源の異なるコンピューターだよ。 それでいい。
皆は、どう思う? どう感じる?