私は4人兄姉の末っ子だったから、父は、「目に入れても痛くない」と言って、可愛がってくれた。
いつも、父の膝の上が、私の定位置。
でも、年頃の私は、父に反発して上京した。
就職も、結婚も、故郷に帰るつもりは無かった。
子供が産まれて、年に一度の夏休みを、実家で過ごす事が、唯一の親孝行かな〜
父は、畑を作り、孫達を連れて畑に向かった。毎朝新鮮な野菜を収穫して食べさせてくれた。トマト、きゅうり、ナス、みょうが、スイカやメロンまで、作っていたな~
朝ごはん前に、みんなで、父の用意した釣竿持って、岸壁に魚を釣りに行った事もあった・・・面白いように釣れたな!母が「この小さな魚どうするの」と言って、そのまま唐揚げにしてくれた。その様子をニコニコしながら見ていた父
・・・・
そんな元気な父が、新年の明けた2月、体調を崩した。
珍しく入院した。
「あんなに、元気だったのに」私は心配になって、お見舞いのため、初めて雪の降る冬に実家に帰った。
その年は、雪の多い年だったから、山越えの、タイヤチェーンを持って出かけた。夫は、スキーがすきだったから、雪山の運転には慣れていたはず・・
峠を超えるまで、子どもたちは、初めての雪の多さにはしゃいでいた。
一瞬の出来事だった、アイスバーンで、車が一回転したのだ!
私は、「あっ!もうダメ!」
このまま、崖をダイブする車を想像して目をつぶった。
・・・
「止まった」
運良く、対向車が来なかったこと。
頑丈なガードレールが雪の中に埋もれていたこと。
もし、あと50㎝、ずれていたら、ガードレールは無かった。
それらの偶然が、私達家族を助けてくれた。
さぞや!運転に疲れただろう夫のことを考えて、一度実家に寄って、私だけ、兄に病院まで、連れて行ってもらおうと思った。
実家に帰ると、ひとり兄だけがこたつに入って、残っていた。後姿はお父さんそっくり!
「親子ってこんなにも似るんだな!」って思った。
後ろ姿の兄に挨拶して、そそくさと、荷物を部屋に運んでいる間、子どもたちは、兄が遊んでくれた。
・・・・
私が、用意して戻ると、もう兄はこたつにはいなかった。
娘が、「お祖父ちゃん、さっきは危なかったね!この雪の中をよく来てくれたね!ありがとうって言ってたよ!」
「えっ!おじさんでしょ!」
それに、まだ、だれにも、雪道でのスリップの事は話していないよ・・・
ううん!お祖父ちゃんだった!「よぐ来たの~!」って言ってたもん
「おおぎくなったの~」って言ったもん
「みかん食べれ~‼たべれ~!」って言ったもん
とまだ幼い息子まで
・・・・・
・・・・・
裏のほうで、兄の声、「おお~来てくれたのか、病院にすぐ行くぞ!親父危ないんだ!」
あ~・・・
お父さん、私たちを事故から守ってくれたんだ!
・・・
「ありがとう」
私は今、父が息を引きとったんだな~って思った。
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