今日の桜を、楽しみながら、散歩してまーす。
老木も頑張っています(⋈◍>◡<◍)。✧♡
桜は、満開を過ぎて、花びらが散りはじめました。
ハラ、ハラ、と散る桜の木を見上げると、小鳥達が花の中で遊んでいます。
ムクドリ?ヒヨドリでしょうか?
スズメもいます。でも、近くには寄ってきません。
下から見上げる、スノーフレークと桜。
菜の花と桜
真っ赤なハナモモ
白い桜
山桜かな?
美しすぎるハナカイドウ
こうして、今日も、花に癒されています。
でも、世の中は、目に見えないコロナの恐怖に晒されています。
・・・・・
お婆ちゃんのひとり言
共に昭和、平成と生きてきた、笑いの天才が、コロナに持っていかれてしまった。
同じ世代のお婆ちゃんには、たまらなく寂しい事です。
この戦い、これからが正念場‼️
どう私たちは、この危機を乗り越えるのでしょうか?
どれだけの犠牲を、払うことになるのでしょうか?
先日、映画「Fukusima50」を観た時、9年前に、福島原発で、命の危険と戦いながら、大惨事を防いだ、現場の技術者達がいた事を知りました。
作者がこう語っています。
極限の場面では、人間は、強さと弱さを両方曝け出す。
日頃は目立たない人が、土壇場で驚くような力を発揮したり、逆に、普段は立派な事を口にする人間が、いざという時に、情けない姿を露呈したりする。
中略・・・
明日の見えない太平洋戦争末期、飛行技術の習得や、特攻訓練の厳しい現場となった跡地に立つ原子力発電所で起こった悲劇
絶望と、暗闇の中で原子炉建屋のすぐ隣の中央制御室にとどまった、男達を、想像した時、私は「運命」という言葉を思い浮かべた。
戦時中と変わらなな、いや、ある意味では、それ以上の過酷な状況下で、退く事を拒否した男達の闘いは、いつはてることもなく続いた。
自らの命が危うい中、なぜ、彼らは、踏みとどまり、そして、暗闇に向かって何度も突入したのか。
彼らは死の淵に立っていた。
それは、自らの「死の淵」であったと同時に、国家と郷里福島の「死の淵」でもあった。
そんな事態に直面した時、人は、何を思い、どう行動するのか?
力及ばず、大きな放射能被害が生じた。
しかし、土壇場で
原子炉格納器爆発による放射能飛散という、最悪の事態は、回避された。
吉田昌郎と、福島第一原発より
まさしく今、
誰れもが、無防備で、コロナウィールスの最前線に立っているのかもしれない。
自粛している今だからこそ、私は、今すべきことを、しようと思う。