徐々に、マスクも出回ってきましたね。
どこに隠れていたのかしら?と、疑いたくなるぐらいですけど・・・
まぁー、そこは探らないでおきましょう‼️
ただ!自粛、自粛で、もう限界だった精神の緊張の糸が、プツンと、切れない様に、
今だからこそ、心を休ませる事が必要な気がします。
今日の休日をお婆ちゃんは。ゆっくりと休みます。
心の休ませ方
「つらい時」をやり過ごす心理学より
ラジオ、人生相談でお馴染みの加藤諦三
休む事も生きること!
大変な事が起きたと思った時は、今までの垢を落とす時なので有る。生きることに疲れた時は、今までの垢を落とす時なのである。
中略
「自分では、真面目に働くことを立派と思っていたけれども、単に認めてもらいたいという気持ちが強かっただけのことではないのか」とか、「一人になることが怖かったからではないか」とか、「不安だからそれから目を逸らすために人以上に働いただけではなかったか」とか、色々と思い当たる事があるのではないだろうか。
ツツジ
子供の頃の憎しみは、過去にならない
小さい頃に、足に怪我をして痛かった。ところが、それを母親が傷口を口ですって、薬を塗って治してくれた。するとこの「痛み」という体験は、痛くても過去のものとなる。この体験がその子の心を捕らえてしまうという事はない。そして、この子はこの体験から生きる知恵を学ぶ。
しかし、ここで、母親が笑って無視したとする。そうなると、この小さい頃の怪我という体験は、心の世界では過去の体験にはならない。肉体的な痛みは過去のものだけれども、憎しみを持ち、それがやがて恨みに成長する。
肉体的な時は過去だけれど、心理的にはその体験は今なのである。社会での時は過ぎていくが、心の中では過ぎていかない。そこで過去への執着ということになる。
三十年前に土手で母親に捨てられた。その人が十歳の時だった。今は四十歳である。しかしその人の心の中には、その時の恐怖は残っている。
気になっていた、この記事をじっくり読みました。
ありのままを書いてくれてありがとう。
今日はこの辺で(@^^)/~~~