引用 いらすとや
このごろ、「自己肯定感」や「承認欲求」という言葉がちらほらと耳に入る。
自己肯定感とはwikipediaによると「自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉」である。
この自己肯定感がない、すなわち自信を持つことができない人が、「承認欲求」という人に認めてもらいたい気持ちを持つのである。
ただし、この承認欲求を持つ人は自己肯定感がない人である、と断定することはできない。
この承認欲求は自分が知らないうちに持つような気持なのかもしれない。
自分に自信を持つためにこの承認欲求を、SNSを通じて満たそうとする。
これが、現代社会では多く見かけるようになった。
逆を言うと、SNSを通じると承認欲求を満たすことができるようになった。
つまり、この「承認欲求」という言葉は決して昔からあるわけではなくSNSが普及するようになった現代から使われるようになったものである。
国内だけでも、twitterやInstagramの利用人口は、前者が4500万人、後者が3300万人と、日本人の約3~4人に一人はこれらのSNSを利用してることがわかる。
しかし、SNSを利用することが必ずしも承認欲求を満たす目的ではない。
自分のことをアピールしたり、知ってもらうために使うこともあるだろう。
承認欲求を満たすというのは決して悪いことではなくむしろ普通のことだ。しかし、大切なのはこの承認欲求だけで、自分の幸福を感じることになってはいけないということだ。
簡単に例を挙げると、たまたまインスタに挙げたスイーツの画像が一万件を超えるいいねが来ると、人は二つの考えに分かれる。
一つ目は、とても嬉しい。これをまわりの人に共有し、褒めてもらいたい!という気持ちや考え方だ。
「私の挙げたスイーツ、1万件もいいね来たんだよ!」と、共有し、周りに自分を認めてもらう。
また、1万いいねそのものに、1万人が共感してくれたという価値が生まれ、こうすることで、自己肯定感を高めるのである。
この投稿にはスイーツを共有し、私はこのようなことをしたんだよとまわりに問いかけ、反応を見る目的がある。
そこでたまたま、いいねが1万件を超えた場合、それはまわりに共有するのは普通の心理である。僕だってそうするだろう。
しかし、これの考えが逆になると、とても危険なことになる。
これは、このスイーツを共有することでまわりからの反応を見るのである。
しかし、逆に1万いいねなどの大量の人が自分の投稿を閲覧したり、フォロワーを増やしたいという目的のために、行動することはとても危険である。
例えば、「私は1万いいねを貰うためにこんなに高級なスイーツを食べに来たんだよ。」などである。
目的が、スイーツを食べに来るのではなく、いいねを貰うことになってしまっているのだ。
しかも、これらの行為で本当に1万いいねを貰えたらもっと危険になる。
今度は、もっといいねを貰うために、○○なことしよう!となり、行動がエスカレートし、「いいね」によって人が振り回されてしまう状況となるのだ。
最悪の場合、犯罪につながることもある。現に、最近話題となっている「不適切動画」もその一つであろう。
周りの人からの「いいね」や称賛のために、危険な行動、悪質な行動をとるということだ。
このような、「いいね」によって人が振り回されてしまうと簡単には元に戻ることができなくなり、「フォロワーが減るから」○○したくない、などという、いわば「依存状態」となるのである。
そのため、SNSでの投稿は目的が逆になってしまうだけで、犯罪につながってしまうという恐ろしいものなのである。それを知ってもらいたい。
二つ目、何も思わないだ。
芸能人とかはそうだろう。例えると前澤さんがのツイートにいいね1万ごときで喜ぶと思うか?前澤さんはそんな心の小さい人間ではない、はず。(確証はないw)
こういう人たちは、自分は「有名なんだ」と、自己肯定感がある。だから、そこまで驚くことはないだろう。
また、何も思わない人はもう人パターンある。
もとから何かしらの理由で自己肯定感がある人だ。
他の趣味や仕事などで、自己肯定感がある人はそこまで何とも思わないだろう。
これが、大きな「差」である。
閲覧しているあなたは、一体どちらか。
若者の多くは一つ目の方だろう。
どちらがいいとか、悪いとかは言ってはいない。
しかし、ダメなのは1の逆をしている人だ。これは確実に、闇のスパイラルに入っている。
それだけは避けてほしい。
さて。
今回のタイトルは、「この世界から "いいね" が消えたら...。」だ。
閲覧しているあなたは、どう思っている?
僕は、経済が崩壊すると思う。
一度やってみたい。世界中から、1日だけいいね機能を消すとどうなるか。
コロナショック同様、いいねショック、外国ではGoods Shockなどと言われそうだ。
いいねは、経済を回している。
何かを判断するときの基準となっている。
SNSは、ここ数年で本当に浸透してきた。
つまり、SNSネイティブ、インターネットネイティブ、つまり僕らが作り上げる作る社会は初めてのことなのだ。
一体この世界はどうなるのか。
いいねは人を殺すかもしれない。
いいねは、人を有名にさせるかもしれない。
いいねは、人を幸せにするかもしれない。
いいねは経済を回している。この諸刃の剣と共生していく社会は、どのようなものになるのか。
IT化が進んで、PC、スマートフォンのAPIが刷新され、より高度なAIが搭載されたものになるかもしれない。
これからは、未知の世界。
いいね、インターネット、SNSとともに生きる時代は誰も経験したことない。
だが、生きるしかない。
正直、そんな世の中を生きることができるか、心配だ。
ただ、いいねが人を殺す社会となってしまうのは御免だ。
そうなるか、ならないかは、僕、あなた、世界を担う僕たちの行動に、かかっている。