「みんな同じ世界をみているとは限らない」をテーマとして、
「目による解像度のちがいから生まれた見える世界」
「Official髭男dismの曲から学ぶ新たな視点」
の2本立てで書いていきます。
このまえ、小学生のころによく騒ぎを起こしていた友だちと久しぶりにメシにいった。
彼は、昔よく人と揉めていたが今はそんな印象は全くない。
で、久しぶりに話していたら、実は彼は昔から目が悪く色の判別がはっきりしないということが分かった。ぼくは彼と仲が良かったので、彼の目が悪いことは昔から知っていた。しかし、色がはっきり分からないというのは久しぶりに喋って初めて知った。
では、なぜぼくは友だちのその事情を知らなかったのか?気づかなかったのか?
それは、最近まで彼自身が知らなかったからだ。本人すら気づいてなかったそうだ。じぶんの目が他の人より色の判別ができないということを最近知ったそうだ。
では、なぜ彼は今まで気づかなかったのか?
それは、初期設定がそういうものだと思っていたからだそうだ。
「色がはっきり見える」という感覚を初めから知らないため、じぶんが他の人と見えている世界が違うということに気がつかなかったそうだ。
そして、よくよく考えてみると、彼が昔よく騒ぎを起こしていたのは、そもそも見えている世界がちがい、話が合わないことがあったからなのではないか?話が合わないどころか、話をする上での前提があっていないことが原因だったのではないか?
もう少し深く考えてみると、彼は目による世界の解像度が低いため、頭で論理的に世界を見る力を自然と身につけ、それを活かして生きている。そのためか、彼は頭の回転が早く、早口でもあるので、学校のクラスの人間と、話は合わないしテンポも合わない。しかも本質をズバズバ言うので、本質を言われて面食らったひとをよく怒らせていた。ぼくはなぜか彼と仲良かったけど。
目による解像度の違いを、頭による論理的思考力で乗り越え、新しく生まれた違いで新たな問題が起こり、、、という感じで彼は世界を新しい見方で見ることができるようになっていた。しかも本人が気づかないうちに。
彼の場合は色の識別が発端だったが、細かいところを見ていったら、人それぞれ見ている世界が違うのではないか、そうおもえた。
じぶんが見ている世界を他の人も同じように見ているわけではないんだな、ということに気づかされた。
「みんな同じ世界をみているとは限らない」でいうと、次の記事も参考になるなとおもった。Official髭男dismの曲をクィアリーディングで読み解いてみた、という記事です。PVの主人公を異性愛者、同性愛者、それぞれの視点から見てみようというもの。SmartNewsに載っていた。
恋愛において、たとえば、異性が好きな人は、みんなが異性が好きであるという前提で世界を見がち。しかし、前提がちがえば、見える世界はちがう。そのことをこの記事は教えてくれた。
くわしい内容は貼り付けた記事に書かれているのだが、誤解が生まれないように付け加えると、異性愛者と同性愛者の二項対立の話ではない。
ひとを、単純に異性愛者と同性愛者という2つに分けられるわけではないし、分けるべきではない。
異性愛者もいれば、同性愛者もいるし、異性にも同性にも恋する人もいる。また、異性愛者もしくは同性愛者のなかでも、人によって好みはちがうし、分けられるものではない。すべてはグラデーションである。世界を全く同じ視点で見ている人はいないに等しい。
そんなことも教えてくれる曲であり記事だなぁ、とおもった次第であった。おしまい。