ジェリコ、ドラクロワに続き、ロマン派の代表する人物であるフランシスコ・デ・ゴヤ。
過去に紹介した“黒い絵”などでも有名です。
14歳から絵の修業をし、数度の王立アカデミーへの出品と落選にもめげずにコツコツ努力を続けてきた画家です。
聖堂の天井画の装飾や王立工場で生産するタペストリーの下絵作りなど、ずっと絵描きから離れずスキルを磨いていました。
彼が40代に差し掛かると、スペイン最高の画家として認識されるようになります。
宮廷画家としても活躍した彼は、足が悪くなったり病気によって耳が聞こえなくなどの困難を抱えながらも、様々な絵の依頼を受け続けます。
そんな中、とある人物の依頼で一枚の絵を仕上げます。
それが今回紹介する“裸のマハ”です。
裸のマハ
裸の女性がベッドに横たわりこちらを見ているように描かれたこの作品。
題名にある“マハ”というのは、女性の名前ではなく“粋な女”という意味があります。
女性らしい曲線美を感じる開放的な絵ですね。
実はこの絵が公表されるとスペイン国内で大問題になりました。
当時のスペインは厳格なカトリックとして有名であり、女性の裸を描くのはNGとされていました。
イギリスやフランスでも女性の裸は禁止でしたが、ヴィーナスなどの“女神”を対象として裸を描くことがよくありました。
アダムとイヴが裸だったことなどを根拠に、あくまで生まれたままの姿を美術的な観点として描くものとして許されるものでした。
しかし隣国の美術家が女神の裸を題材にしていたとしても、スペイン国内では女神であっても裸を描くことは避けられていました。
そんな中、当時のスペイン首相ゴドイはゴヤに対してこの絵を描くよう依頼します。
ゴドイは近衛兵として従属するため、マドリードに身を置くことになるはずの一兵士でした。
このとき彼は王位継承者(カルロス4世)の王妃であるマリア・ルイサ・デ・パルマに非常に気に入られ、軍の指揮官や大佐までを任されるようになります。
この場でこれ以上彼の人生を語ることはしませんが、その後の活躍を見ると、ゴドイ自身も非常に有能であり、カルロス4世の信頼も勝ち取っていったことが分かります。
後にフランス革命戦争の講和条約であるバーゼル条約を結んだことから、平和公の称号を授かることになる人物です。
そんなゴドイはゴヤに女神ではない裸の女性の絵の依頼を頼みましたが、女性の裸が問題になることを危惧しもう一枚ゴヤに描いてもらいました。(というのが定説……。)
それが“着衣のマハ”です。
着衣のマハ
この絵は見てわかる通り、裸のマハと同じ構図で描かれています。
ぱっと見て服を着ている他に違いは見当たりません。
しかし表情を見ると違いが感じ取れます。
裸のマハは目つきが鋭く妖艶な表情を浮かべているのに対し、着衣のマハはどこかあどけない表情。
また裸のマハは髪の毛をほどいているなどの違いもありますね。
結局この絵は完成から15年の後、フランスの侵攻によってゴドイが邸宅から亡命する際に発見されます。
絵が世間の明るみに晒され大問題となったことで、ゴヤは異端審問にかけられることになります。
一般女性の裸が描かれていることから、依頼者は誰なのか、モデルは誰なのかを厳しく追及されることになります。
ゴヤは最後まで口を割らなかったため、証拠不十分として不起訴となります。
依頼者がもう国には戻って来ないかもしれないのに口を割らないとは……。
背景も含めるとゴヤの画家としてのプライドを感じることができる一枚です。
またこの絵には陰毛が描かれていることも、“髪の毛と髭以外の体毛は美しさに必要ない”と考える当時の西洋美学に一石を投じた初の試みとして現在では評価されています。