(前回記事↑)
前回の資本論では、マルクスが予想した資本主義の未来についてまとめていきました。
資本家が資本を増やすということは、搾取される労働者も増えるということであり、それによって労働者の力も増えるということになる……。
力をつけた労働者はいつか革命を起こし資本家を打倒、蓄えられた資本は人々に平等に分けられることになるだろう……。
と彼は述べています。
前回まとめた資本論第24章の内容には、彼が主張したかった内容が集約されていました。
その主張の後彼は、自らの理論を裏付けるように“資本主義が根付きにくかった国”について分析しています。
今回はテーマはその分析ついての話です。
第25章近代植民理論。
資本論第一部、正真正銘最後の章になります。
近代植民理論
資本が蓄積するということは、より多くの賃金労働者を作り出すということになります。
労働人口が増えることによって、賃金は一定以下に保たれ……、
資本家は労働者を安く使えるようになり……、
労働者はその日暮らしを避けるために資本家に依存することになる。
ここまではマルクスがまとめてきた内容になりますね。
彼はこの流れを、新大陸アメリカ(植民地時代のアメリカ)を例にまとめています。
新大陸アメリカ
マルクスが分析した植民地時代のアメリカでは、“直接生産者”が多く存在していました。
直接生産者とは、道具や機械などの生産手段を持ち、自分の労働によって自分自身を豊かにしている人たちのことです。
その状態では、生活に必要なものと生産に必要なものは彼らのものです。
資本とは増える貨幣であることから、自分たちで生産や消費を完結させている彼らの生産物などは資本ではありません。
そんな直接生産者が多い環境では、資本主義は起こりませんでした。
広大なアメリカの土地
資本主義が興らなかった大きな理由は、その土地の広さにあります。
広大なアメリカでは、住民は安く土地を手に入れることができます。
彼らは自らの手で家を建て、家具を作り、生産物を市場で売ることもできます。
ヨーロッパの労働者のように、自らの労働力を売って商品を生み出し、お金と交換しなければ生活できない状態ではありませんでした。
当時のアメリカにも、雇い主からお金をもらって働く賃金労働者もいました。
しかし賃金労働者でさえ、賃金労働である程度のお金を得ると簡単に土地を買い、独立していったといいます。
中にはお金を貯めて資本家になる者さえ現れるほどでした。
自分のものは自分でなんとかする生活が浸透していたため、彼らは商品を売買する必要がほとんどありませんでした。
さらにアメリカという土地の広さから、安く土地を手に入れることができます。
ヨーロッパの移民がいくらアメリカに機械や労働者を持ち込んでも、中々資本主義が根付かなかったとマルクスは分析しています。
土地の取り上げ
そこで資本主義を根付かせるために行ったのが、土地の取り上げです。
やがて大量の移民がアメリカ東部へ移り、組織化していきました。
彼らは、一定の労働をしないと土地を持てない制度を作り上げ、その範囲で生活していた住民から次々と土地を取り上げていきました。
ちょうどこの頃、南北戦争の影響で重税が課せられるようになり、さらに金融業の発展によって急激な資本の集中が実現しました。
このときからアメリカに資本主義が根付きはじめ、いよいよ発展していくことになるのです。
資本主義を成立させるには…
ここまでマルクスは、移住する労働者にとって天国のような場所だったアメリカでさえ、大量の移民(賃金労働者)と国を挙げての資金援助によって収奪が可能になる例を分析しました。
これらのことから彼は、資本主義が成り立つには個人の労働、私有を奪う必要があると主張しています。
資本家の下に縛りつけるには、労働者の貧困が必要だったのですね。
そして章の最後をまとめると以下のように書かれています。
「植民地を見ると、資本主義が世界を侵食していく過程が見れる。
資本主義による収奪が世界に蔓延すると、次は収奪されてきた労働者が反旗を翻し、資本家たちが収奪される世界が訪れる。
その先の社会をどう構築するべきか…。」(省略あり)
資本主義社会の向こうを彷彿とさせたところで、彼は筆を置いています。
まとめ
・植民地時代のアメリカでは、自給自足に近い生活を送っていた者が多かった
・賃金労働をさせたとしても、自分で広く安い土地を買って消えてしまい、資本主義が根付かなかった
・しかし大量の移民と、戦争による混乱、国家レベルで資金援助によって、住民への収奪がはじまった
・収奪による貧困によって、ついに資本主義が根付くことになった
・資本主義社会の行く先は、労働者による資本家への収奪、そして資本の社会化である
以上、資本論第一巻第25章(最終章)のまとめになります。
いかがでしょうかマルクスの資本論。
商品の価値に始まり、貨幣の登場から労働の種類を分析、なぜ労働者が搾取されるのかを徹底的に洗い出した書物でした。
勘違いしてはいけないのは、彼は資本主義の全てを否定しているわけではありません。
社会インフラや技術の発展など、認める部分はしっかり認めたうえでの分析です。
また、本書では資本家を否定しているように見えますが、彼は資本家が搾取できる社会構造を否定しています。
この本は確かに国を変えるほどの影響を与えましたが、それは後の人の解釈によるものです。
私たちがこれらの内容を知ってどう感じるかも、解釈次第ということです。
しかし資本論がこれだけ長い間読み継がれているということは、社会に対して何らかの疑問を持っているからではないでしょうか?
そんな疑問と比較できる手段の一つとして、この本の内容を知ってもらえればと思います。
最後に
資本論から学べることは一体何なのか……?
個人的な意見ですが、それは“生き方”だと思います。
自分は搾取される側なのか、それともする側なのか。
もしされる側なら、どうしたら今の状態から脱却できるのか……。
する側ならそれを利用するのか否か……。
マルクスの頃とは違い、それこそ遊びでさえ価値を付けて貨幣に変えられる時代です。
自分が持っている資本が一体何なのかを見つめ、どのように生きるのが幸せなのかを考える。
マルクス曰く、資本家になる一つの手段として、偶然資本となる何かを発見する必要があると言っています。
幸せの資本は意外に身近なところに落ちているかもしれませんね。