“【韓非子㊺】矛盾の語源”の記事をもって韓非子は一旦区切りとなります!
韓非子には主道篇、二柄篇、説難篇、三守篇、老解篇、五蠹篇、顕学篇など様々ありますが、今まで紹介したのはそれら各篇の一部です。
韓非が一貫して伝えているのは、人は利害を第一に動く生き物だということ、そして法こそが国家の基準となるべきということです。
定めた法の下で賞罰を公平に与えることで、やっと人は利害ではなく理性的に行動できると考えたようです。
もともと韓非の祖国である韓は、秦や魏、趙といった強国に囲まれたうえに領土も少ない弱小国です。
武力よりも政治や学に頼るほかありませんでした。
そんな智を武器とするはずの韓が、理想ばかり述べる思想家や都合の悪いことに耳を傾けない君主や取り巻きによって衰退していく様が許せなかったのでしょう。
そういった者たちを批判し、法を重んじる精神を伝えていた韓非ですが、その最後は秦国宰相の李斯による毒殺というあっけないものでした。
人治国家ではなく法治国家の基礎を作った人物の最後としてはなんだか寂しいものですね。
秦王政に「これを書いた者に会えたなら死んでもかまわない」とまで言わしめたこの書は、政だけでなく私たちの生活や考え方に活かせるものも多いです。
二柄篇では、“大変で大切なことほど自分でやるべき”という仕事やビジネスでの考え方が……。
説難(ぜいなん)篇では、“どれだけ自分の知識があろうとも、相手が欲していないことを話したところで聞いてくれない”というコミュニケーションについての本質が……。
顕学篇では、“今もてはやされている学問は、何故今もてはやされているのかをよく考えるべき”というトレンドの見極め方が……。
人によってこの書から得られる学びはそれぞれでしょうが、知らないよりは知っていた方が考え方が洗練されるはずです。
組織のあり方に疑問を持ったときや、自分自信を分析するときなど、韓非子から知恵を借りることもあるかもしれませんね。
以上、そんな古き世の法家の遺した思想についてのお話しでした!