森会長が、一連の批判を受けて辞任することが決まりました。
女性蔑視発言そのものは看過できないものですが、筆者は「女性蔑視」を「蔑視」する国内外の批判に、首を傾げております。
森会長の発言に対し、擁護する気持ちはありません。女性だからと言って差別されることは、決して許されません。
ただ、一方的にそれを悪と断じる論調も、本質的には「男性蔑視」や、男性優位が是認された時代に生まれ育った森会長やその世代に対する「老害」、いわば「世代蔑視」にもにつながっているように思えてならないのです。
オリンピック憲章に9項目ある「根本原則」のうち、今回フォーカスされた6項に以下のような記載があります。
いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、 フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献する。
森会長の発言は、「いかなる差別をも伴うこともなく」という部分に反している、ということが国際オリンピック委員会(IOC)を含めた国内外からの批判の内容です。確かに、女性蔑視は、伴うはずのない「いかなる差別」に含まれるので、批判を受けるのは致し方ありません。仮に、真意は異なったとしても、誤解を招くような発言をした時点で、組織のトップとしては良くありません。
ただ、ここで根本原則に反する行為をした人間への攻撃を是認してはいないことも、注意しておかなければなりません。
もう一つ、この根本原則の2項を以下引用します。
オリンピズムは、肉体と意志と知性の資質を高揚させ、均衡のとれた全人のなかにこれを結合させることを目ざす人生哲学である。文化や教育とスポーツを一体にするオ リンピズムが求めるのは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、 普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などをもとにした生き方の創造である。
「均衡の取れた全人」とは、これまた日本語が難解ですが、英語の原文だと「a balanced whole」、バランスの取れた完全体という意味ですね。
元アイスホッケー選手で、現在はIOC委員を務めるカナダのヘーリー・ウィッケンハイザー氏が、森会長の発言を受け「東京であったら、必ず(森会長を)追い詰める」、辞任が決まると「前進した」とそれぞれツイッターでコメントしました。
随分と一方的かつ攻撃的な内容で、これもまたオリンピック憲章に反するやり方なのではないかと、筆者は疑問に思っています。そう、「平和な世界の構築」が根底にある憲章と真逆の対応ではないかと思うのです。
均衡の取れた全人とは、女性蔑視も「女性蔑視の蔑視」もしないし、ましてや批判と攻撃を一緒くたにすることもない、人類が目指すべき姿のことを指しているのだと筆者は理解しています。
批判するには、「あなたの意見は〇〇という内容ということで理解した。でも、私は正しいとは思わない。その理由は、××だからだ。」というように、相手の主張にも一定の理解を示すことが前提にあるべきだと思います。趣の異なる意見の存在にも、敬意を払う。それが、「普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重」なわけですから。
ウィッケンハイザー氏の人となりを存じ上げないので、ここから筆者の勝手な憶測です。しかし、ツイッターで吐き捨てるような姿勢を見る限りにおいて、この方はおそらく男性蔑視(例:女性を尊重しない男は、最低な奴だ)、そして同性蔑視(例:あの女は、能力もないくせに男にこびって出世した)を無意識にしてしまう方なのではないでしょうか。もしかすると、ここに「人種蔑視」(例:女性蔑視発言のYoshiro Moriは、アジアのサル(=日本人)だ。)も隠されているかもしれません。
差別を批判する人こそが、最も「差別意識」を持っているのではないか、と思わせる一連の出来事でした。