目まぐるしく変わる社会の中で、
教育の在り方については世界的に議論の的に上がっている。
これはもう、日本だけのことではない。
イエナプランやモンテッソーリ、サマーヒル、デモクラティックスクール、、、
沢山の教育哲学がある中で、
その哲学に基づいたスクールが全国に多く広がってきているのは事実。
でもやっぱり、思うのは、どの教育哲学でも、そこに携わる大人が、
“結果”や“出口”を求めてしまっては、
結局これまでの教育と変わらないんじゃないかなと思う。
イエナプランの学校で学べば、自己肯定感が育まれる、とか、
モンテッソーリで学べば、探求が大好きな人間になる、とか
そういうわけではなくて、
どうなるかなんていうのは誰にも分からない
という前提に、みんなが立たないといけないんじゃないかな、と思う。
そして、どうなるか分かるから安心ではなくて、
どうなるか分からないから希望に溢れる
ということをもう一度みんな、日本中の全員が、見つめなおした方が良いと思う。
人が生きるために必要なことの一つに、“希望”は欠かせないと思う。
モノが豊かな日本でも、希望がなければ人々の顔は暗い。
モノが不足している地域でも、希望があれば人々の顔は輝く。
平成の30年間は、日本が初めて希望を失い、夢を描けなくなった30年間だった。
これからは、
きっと希望に溢れる日本に。
その為に、子どもたちの笑顔を守り、ワクワクを開放する環境を作ること。
そして大人が“どうせ無理”を無くして、
“だったらこうしてみたら?”でよりよくを求められること。
成功するから幸福、ではなく、幸福だから成功する。
***********************
2019.6.12.
多分、最後の言葉はどこかからの受け売り。笑
色んな研修や、イベントに参加してとにかくインプットしまくっていたこの頃。
現場でもやもや感じていたことを、言語化する日々だった。
将来に希望を抱ける日本に。
これは今も、大切にしている。
そして、これからの社会での希望とは、
“こうなったら安定”ではなく、
“どうなるか分からないけど、その瞬間に考えて生きていける力”
のこと。