わたしはどうも、ひとやものに感情移入しがちの人間のようだ。しかも、勘違いの共感だったとしても共感力とか感受性が高いらしく、ちかくにいるひとがたのしそうだとたのしいし、かなしいとかなしいし、こころがいたいといたいし、感情まで他者と共鳴してしまうので、非常に疲れることがある。ものや人間以外の動物に対してもそうで、落とし物をみると持ち主と引き離されたんだなとおもって悲しくなり、ご主人といっしょに散歩をして楽しそうな犬をみると、わたしまでうれしくて走り出したくなる。
悪いことじゃないと思っているけれど…定期的に外界とシャットアウトしないとまいにち疲れる…
読み物を読めば書き手の立場になりすぎてしまい、たとえ「おや?」とおもうことがあったとしても、「こういうふうに思っているのだからいいんだよね」と落ち着いてしまうことがある。そうすると、すべての読み物がわたしにとって素晴らしいものにうつるような気がしてきて、だめな読み物なのかいい読み物なのかの判断ができなくなる。なので、わたしは編集者には向いていないし、向いてなかったから編集者は辞めてよかったのだ。
と、きょうの帰りの電車の中で急に気がついた。いやもちろん好きなものや嫌いなものはあるのだけれど。嫌いなものでも読みすすめるうちに、そうか…そうか、そういうことか。だからこういうふうなことかけるのか。という答えを導き出してしまい、結果、これはこれでいいんじゃない?となってしまうのである。
この、編集者に向いていない気がする性質、校正・校閲者ならばどうなのか。わたしはゲラに並んでいる言葉に移入する。ゲラをみながら書いている人の声に耳を傾ける。ゲラの声を聞いていると言いたいことが少しずつ理解できるようになってくる。文字ひとつひとつに移入して間違いを見つけていく作業をする……うまくいえないのだけれど、わたしのこの共感力や感情移入しがちの性質は、校正・校閲者に向いているのではないか。
勘違いなのかもしれないけれどそうなのかもしれない。自信はないけれど、自分の性質を活かせているのかもしれない。それっていいことなのでは……と。いいことに気づいたことにして金曜日を締めくくる。
あしたは土曜日。しごとするんでもう寝ますすやすやみ⭕