私は発達障害を持っている。
発達障害の中の自閉症スペクトラムというやつで、コミュニケーション能力に問題があるとされる障害だ。
自分でも認めたくはないが、コミュニケーション能力に難があるのはそうだろうと思う。
でも肝心なのがここからで、この「コミュニケーション能力に難」という言葉を具体的に考えなくてはいけない。
そもそもコミュニケーションとは『気持ち・意見などを通わせること』をいうらしい。
確かに、それならコミュニケーションが苦手というのも頷ける。
私の人生、誤解、すれ違いのオンパレードだ。
しかしだ。
私はこれまで人と全くコミュニケーションが取れてこなかったかというと、そうではない。
少なからず成功している場面もあるから、こうして生きてこれたわけだ。
つまり
「失敗したり成功したりするが、全体的に見て社会的に障害になるくらい失敗が多い」ということになるだろう。
私がこの記事で言いたいのは
【成功している事例や失敗からなにか解決の糸口が学べないか】ということだ。
私は障害者であるとハッキリ認定されている。
努力だけで障害が消えることはないだろう。
しかしコミュニケーションに成功している(意思を伝えるという意味で)時もあるなら、
成功パターンが存在しているかもしれないと、私は考える。
もちろん相手の方が人として優れているから、私の思いをくみ取ってくれることに成功したのかもしれない。
ただ私は、発達障害の問題は言葉の伝え方に、ポイントがあるのではないかと考えている。
私は発達障害を持っているが、自分が書く文章がわかりやすいと人からよく褒めていただくことがある。
もし本当にコミュニケーション能力に難があり、思考もてんでダメダメなら
(もちろん思考もかなりやばいところはあるが)
文章でコミュニケーションもはかれないはずだ。
つまり、コミュニケーション能力に難というのは、その人そのもの、脳みそや人格に問題があるというより
しゃべりが下手なのではないかと推測する。
あくまでこれは私の場合だ。
発達障害の人の中にも文章を書くのが苦手な人はたくさんいる。
発達障害の度合いも人それぞれだ。
だからこの記事を読んだからといって、発達障害の人みんなが会話術を鍛えればいいというわけでもない。
しかし障害は治らないとしても、
自分の強みや弱いところを見つめ、工夫を重ねた先に光があると思っている。
それはきっと障害どうこう関係なく、人が成長する上で必要な事柄なんだろう。
では最後までお読みいただきありがとうございました。
また次の記事でお会いしましょう。
タカツキミドリでした。