滋賀県大津市の円城寺は天台宗の寺。
即位の礼の前に灌頂が行われたということは、天皇はまず即位する前に仏教徒として入門したということを意味する。
しかも、天台密教において、灌頂という儀式を受けるということの意味することは・・・。
何を隠そう、灌頂を元のサンスクリット語に戻すと、私がインドの瞑想の師匠からもらった名前abhishekaである。
その漢訳が灌頂なのだ。
天皇は即位の前にabhishekaを受けるのが、江戸時代の習わしだったのだ。
笑かしよんな。
灌頂とは形式的には水を頭からそそぐなどする洗礼にも似た入門儀式だが、
密教的にはこれにはもうひとつ深部の意味がある。
水はギリシアの昔、タレスが万物は水であると言ったときから、人類史の中で火とともにエネルギーの象徴であり続けてきた。
登頂に水をそそぐとは、師からエネルギーをそそぐ、ヒンズー的にはシャクティパットを意味する。
キリスト教的にはバブテスマのヨハネが私は水の洗礼をしているが、まもなく火の洗礼をする人が現れると預言した。
そして現れたのがキリストで、火の洗礼とはエネルギーそのものをそそぐというシンボルがより生々しいものになっている。
だが、いずれにしろ、それらすべてエネルギーの伝授を表すことには違いないのだ。
天台のこの秘儀を受けて、密教徒になってから、天皇は即位する。
天台と天皇の関係に通じて論じると長くなるが、桓武の時代、蝦夷を征服していく先々に建てられたのが天台の寺院であり、
天皇による支配が「異民族」に及んでいくときの仏教側の手先が、古来、天台だ。
灌頂=abhishekaの秘儀とは別にその社会的側面をおさえておかないといけない。
オウム真理教だって灌頂=シャクティパットをしていたということも考え合わせておいたほうがいい。