2012年の中国映画論がFACEBOOKから出てきた。中国映画はその後、進化したのかな?
ビューティカテゴリーで、ビューティの欠如について語ってもよいものか?
少し迷ったが、それを語るのもビューティカテゴリーではないかと思い、ビューティカテゴリーを選んだ。
2012年12月24日
「1911 辛亥革命」を見終わった。
映画としての作りがどことなく硬い。
この台詞をここで言うことになっているというような杓子定規なシーンがところどころに目立つ。
イギリス人の女の子が纏足について尋ねるのに孫文が答えるシーン。袁世凱が弁髪を切るシーン。
ひとつひとつがどことなくわざとらしい。
全体として辛亥革命および孫文の宣伝映画になっていて、人間存在そのものを描こうとする文学になっていない感じがした。
これが中国の創造者たちが今もなお抜け出せないでいるひとつの壁かと思った。
かといってハリウッドの娯楽映画にも感心はしないが、欧米や日本や韓国にはもっと芸術として突き抜けている作品がある。
たとえば先日見た「マイウェイ 12000キロの真実」は韓国映画だが、「1911 辛亥革命」に比べると、人間存在を映画作品で描くということに関して芸術的文学的に洗練されていて現在の世界レベルに達していたと思う。
わざとらしくないし、主義主張を押し出しているわけでもないし、ナショナリズムにも収まらない。
それでいて、戦争の中に生きる人間について多くのことを考えさせる。
「1911」にはそういう豊かさや余裕や遊びや創造性がまだまだ足りない気がした。
特撮技術やCGなども一応、ハリウッド並みの現在の技術のすべてを使っているという感じがしたが、なぜか使い「こなして」いるという感がなかった。
場面の作り方が、微妙にちゃっちい。
戦闘シーンも「マイウェイ」を一ヶ月前に見たばかりの目で見ると、どこかしら痒いところに手の届かないところがある。
洗練が足りないので結局リアリティにおいてどこか物足りないというか。
なんだろう? ダサイのだ。
このあたりに、中華人民共和国の音楽や映画の到達している水準が位置しているのだろうと思った。
脚本も骨太な劇みたいだし、演出もうーん、大人の文化祭みたいだなあと・・・。 小説的構造と芸術的リアリティということについて感覚が田舎臭いんだと思う。
そんなことを思えば、あのあびの好きな、衛慧の小説「上海ベイビー」はやはり中国のアートシーンから抜きんでた天才的作品だったと思う。
残念ながら莫言はまだ読んだことがないので、ぜひ近々そのマジックリアリティなるものを堪能してみたいものだなあ。
先日「運命の子」という中国映画も見たが、やはり同じようなわざとらしさや洗練のなさを感じたので、中国映画には今後もしばらく(中国映画に次の時代が来るまで)期待できない気がした。
あ、でも9月頃見た「中国娘」というインディーズっぽい映画作品だけは違和感なく、現代的な創作だと感じた覚えがあるぞ。
あれはたぶん四川の田舎が最初は舞台で、そのあと主人公の女は重慶に流れてくる。
さらにヨーロッパへ行く。
あれは洗練された感性を感じる映像になっていたなあ。
あの監督はいいと思う。女優も演技うまかったと思う。