ここで私がさらに検討していきたいのは、「古神道」という言葉についてである。
現代の日本、特にニューエイジカルチャーにおいて「古神道」という用語は、検討もなしに漠然と使用されている。その言葉の理解の仕方は混乱しており、時には「天皇制成立以前の日本古来の信仰を古神道という」と信じられている。
だが、それはまったくの誤解である。
では以下に「古神道」という用語の成立までの歴史を簡単に追ってみよう。
江戸時代、本居宣長は、それまでは『日本書紀』の影に隠れて顧みられることの少なかった『古事記』に着目し「古道」の名のもとに、「日本の固有の信仰」を復元しようとする。
この時に登場した「古道」という用語こそ、後に「古神道」という用語に繋がっていく言葉の初出である。
その本居を継承した平田篤胤は「古道」を「復古神道」として、発展させていく。
だがこの時期の用語は「復古神道」であって未だ「古神道」ではない。
そして、それを受けて、実際に「古神道」なるものがその名で提唱されるのは、実に近代以降のことなのである。
明治以降、神社神道は国家の要請で大きく様変わりしていく。
つまり宗教として機能を薄め、国家主義イデオロギーとしての政治的機能を強めていく。
神社合祀の名の下に集落神社を次々と破壊し、政治的要請に基づいて神社の再編を進めていくのもその一環である。
この時代の神社神道は、「宗教」である前に一つの強力な「政治=文化装置」であろうとした。
そうすることによって、信教の自由という問題点を突破し、その強制的な支配力を強めていこうとしたのである。
さて、この時代、このように神社神道が国家的要請によって宗教的機能を失っていくのに対抗して、あくまでも宗教としての神道を堅持しようとした神道家たちがいた。その彼らによって提唱されたのが、実に「古神道」なのである。
ここで初めてこの「古神道」という用語が実際に歴史に登場する。
それは神道の生きた宗教的機能を重視する運動であった。
が、教派神道のように、まったく新たに聖なる源泉に触れる教祖を持つものではなく、あくまでも神社神道の枠内にあるものであった。
思想的には、本居、平田の流れを受けた『古事記』を重視する復古運動であったと言えるであろう。
以上が「古神道」というタームの成立の経緯である。
ところが、「古神道」という言葉は、現代、その神秘的な響きのためか、ニューエイジ思想の隆盛の中で、大きな誤解を受けている。
そして、むしろその誤解を助長する形で肥大化していこうとしているようにも見える。
先にも述べたように、その誤解の最たるものは、あたかも天皇制の成立以前、『古事記』以前にも、「神道」が存在したかのような言説を流布し、それら古層の「神道」を「古神道」と呼ぼうとする試みである。
この場合、「古神道」という言葉は、太古からのこの島固有の精神文化といった意味になる。
あたかも民衆そのものが育んできた民族の精神文化であるといった印象を与えるのである。
しかし、天皇制成立以前のこの島の精神文化を「神道」と呼ぶのは欺瞞である。
七世紀から八世紀にかけて、道教から多くのアイディアを取り入れ、神道と天皇制は同時に成立する。
少なくとも天武朝以前に「神道」は存在しない。
あたかも七世紀以前に「神道」が存在していたかのように表現する言説は、それ以前の大王を天皇という「おくりな」で呼ぶことと同じく、歴史の改竄と言うべき行為である。
『古事記』重視の復古運動としての「古神道」を「天皇制以前の精神文化の再興運動である」と誤解するのは、杜撰なニューエイジ的オプチミズムである。
「古神道」へのこの誤解は、時にはさらに荒唐無稽なオカルティズムにも繋がっている。
たとえば『古事記』以前に、神体文字と称するもので書かれた古代文書があったとする説などは、そのオカルティズムの最たるものであろう。
もし太古からのこの島の精神文化に何らかの名前をつけるとするならば、それには「古神道」ではなく、「神道以前」という名前こそふさわしいであろう。