以前に主に遠藤美保子論文をもとに「親鸞の聖徳太子信仰はありえない」ことについて、論じた。
この遠藤論文所収の、「日本宗教文化史研究」第一二巻二号(2008年)は、親鸞研究のお膝元のひとつ大谷大学図書館のものを僕がコピーに行ったときですら、殆ど読まれた形跡はなかった。(発行後7年ぐらい経っていたのに、折れ目がない。新品同様。館内でのコピーのため僕が初めて折り目をつけた。)
上記僕の原稿は遠藤論文の要旨を遠藤よりもややくだけて(限度はあるが)わかりやすく述べたつもりである。
遠藤論文は論旨明快で非常に優れたものだと言える。
僕自身は、これで親鸞に聖徳太子信仰がなかったことはほぼ証明されたと受け取った。
しかし、問題は、今まで、一切、親鸞の真蹟が発見されていないとされていた聖徳太子和讃の一部が遠藤論文の発表の後になって発見されたというニュースがあったことだ。
しかし、それが真蹟であることの論拠はニュースには書かれていなかった。また仮に真蹟であったとしても、書写の証拠になりえても、親鸞の思想である証拠とするには、もうひとつ溝を乗り越えなければならない。
そして、よもやあるまいが、もし仮にこれが親鸞の思想であると証明されることがあれば、僕としては親鸞を見棄てるだけであって、聖徳太子信仰が僕に生じることはありえない。
ところで、昨日また聖徳太子和讃関連の親鸞の真蹟が見つかったというニュースが流れた。
北国新聞社の記事は、
「2021年は、聖徳太子の1400年御遠忌にあたる。小山氏は「このタイミングで見つかるのもご縁を感じる。専光寺の文書と合わせ、多くの方に見てもらえるような機会を設けたい」と話した。」と結ばれている。
が、数百年の間、見つからないとされていた、親鸞の聖徳太子和讃関連の真蹟が、遠藤論文の後、つまり親鸞に聖徳太子信仰がなかったことが説得力をもって論述された後になって、数年以内に次々と発見されるのはむしろ奇妙である。
僕の思想は親鸞がどうであれ、どっちみち変わらないので、僕にはどっちでもいいのだけれど、すぐ誘導される人もいるので、一応、書いておく。
(てか、真宗僧侶ですら、遠藤論文も読んでない人、多過ぎ。遠藤論文を否定しようとする動きから二歩遅れているしぃ。)
一方、この国では安倍政権を揺るがすかもしれないような公文書は数日前のものでも次々と紛失する。(;゜ロ゜)