井筒俊彦「神秘哲学」参考になったところ。
万物一如体験の主体は、個的自我を喪失するとともに、自らあらゆるものに成るのである。
この体験の渦中にあっては、人の霊魂は野獣とも草木とも、また海波に躍る魚類とも、地上をはう爬虫類とも、その他ありとあらゆるものと渾一不可分に合致融合することを親しく味得する。
もとよりこのような体験は、超時超空の絶対的境域に於いてのみ成立するものであるが、「永遠の今」におけるこの「一即一切」も、これを体験の主体が、後から反省的に追求検察しつつ時間の一線上に展開すれば、幾万劫の期間にわたって霊魂が転々と一から他へ生まれかわり変形して行くという輪廻転生の形をとらざるをえないのである。(p184)
なるほどなあ。僕は「永遠の今」を体験したこともあるけど、それを時間軸に投影して、無始よりこの方、生まれては死に、死んでは生まれた無限のあわせ鏡の奥を覗いたこともあるので、この話はよくわかる。
だけど、「永遠の今」が基本であって、時間軸への投影は、投影にすぎないことは、一度体験すれば殆ど誤解の余地がないと思う。
だから実際には、輪廻転生の思想というのは「永遠の今」を体験したことのない人の観念である、あるいは人から聴いての盲信である場合が殆どだと思うけど。