こんにちは、LOLです。
アイスブレイクというか、そんなもので、語っていません。単純に想いを綴ります。
ラヴパレードの一節ですが、悩んでいる少年を連想させます。
ヘルマンヘッセの蝶のように、悩む青少年は壁があることは知っていますが、壁の向こう側に気が付きません。
一量子の井戸端ポテンシャルのように、向こう側の世界は分かりません。犯した罪がどんな世界を通じてどんな結果をもたらすのかを知りません。やがて、自分のやってきた行動の責任を知ると、ラヴパレードの一節に登場する仮想の彼は納得します。
しかし、大人というのは、責任も掛かった世界である、と言います。しかし、仮に蝶の世界に立たされても、結果を齎した未来の道に照らされた光はある程度知っています。
大体エーミールに弁償すればいいんだろ、とか、蝶を取ってくれば良いのかな、とか謝ったり、手紙を書いたり、金銭を授受したり、世界の人間が表面的に納得するすべを知っています。
ですから、人間関係もある程度あしらうコツも知っています。
そう。それだけの人生経験を持っています。ですから光を照らした先の道はどうなるのかある程度分かっています。
ライトノベルで登場する少年は、人間関係、己自身の刻み込んだ道の後先、そういった事で悩みます。
しかし、大人になっても悩む人間が増えてきました。それは、単純に精神年齢の幼さから来るものでもないでしょう。単純に、そういった事を深い海に沈むように悩まないと、成熟してしまった、大成してしまった。そういった感想は殆ど、自身で悩んでいた壁を何らかの理由で解消してしまったからに他なりません。
悩むのは少年の内でいい、というような、若い内の苦労は買ってでもしろ、といいますが、多分、老人になっても、成年になっても、青年になっても、少年であっても、きっと悩んでいる人間は多分、『若い』人と思われると思います。若さというのは単純にビジュアルの事を指すんだ、と主張される方は多分、第一印象に縛られるのでしょう。
ビジュアルが瑞々しい方はそれなりの魅力を持ちます。但し、単純に、美人は三日で飽きます。
だって、知りたい事って単純に話題でしょう?
ですから、不細工な人間とは、単純に何かに対して障壁を抱かない、何にも悩まない人間です。
それが私の定義です。不細工であっても、単純に自由を持ちます。
しかし、束縛されている実情が何らかの実力であるならば、多分その自由さというのはあまりにも脆い。脆弱であるとしか言い様がない。
悩んでいる人間は強い。悩み続ける事は光で照らしていない、そして己が分からず困っているその『人生の向こう側』を探しているのですから。
探したいのは、単純に自由が欲しいです。
強い、頑丈な自由が欲しい。
それが欲しくってもがいている訳ですね。
皆さんも多分きっと同じ事を考えていらっしゃるでしょう。
大人になっても、老人になっても、裕福な家庭に育っても、知的な人間になりたいと考え優秀な大学に入っても、大学院に入っても、教授になっても、あるいは何者かになったとしても、きっと悩んでいるでしょう。
悩んでいる人間は単純に話題自体が面白い、興味深い人間になるでしょう。成れるだけの価値を持っていると判断するのは己自身です。
一生は悩まない、と考えている人間もいるかもしれない。でも、単純に興味を持ってしまうから私はきっと悩むでしょう。
単純に。
それでは、また明日。
LOLでした。