1995年に65歳で亡くなったドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデ。
映画「ネバーエンディング・ストーリー」の原作である「はてしない物語」そして、日本でも150万部を超えるベストセラーとして今なお愛され続ける小説「モモ」でも有名です。
エンデは、当時の貨幣経済システムについても、とても関心を持っている作家でした。
エンデがこの世を去る前の年に、「根源からお金を問う番組を作ることができないか」とNHKに提案したのが「エンデの遺言」と言われるものです。
実際にその提案をもとに作った番組は1999年にNHKで放送されました。
エンデは、お金の基本的な性質である「物と物とを等しい価値で交換する」という原点に立ち返るべき、と訴えました。
その対極にあるのが、資本主義世界で猛威を振るっている株式市場やデリバティブなどの、金融マーケットに流通している資本としてのお金です。
本来の等しい価値交換という性質からは外れているマネーゲームではないのか、と疑問を呈します。
この全く違う機能を、同じお金に担わせているから、社会に歪みを生じさせているのだと考えます。
日常生活で利用するお金と株式市場などの金融で扱うお金が同じでいいのか、という疑問です。
エンデは、お金が永遠であること、利子により無限に増殖することが豊かさの循環を妨げているのではないかと考えます。
確かに、お金に利子がつくのであれば、寝かせたまま置いておけばいいことです。
それも、単に寝かせておくのではなく、より利子が高い有利なところへお金を移動させます。
そのため、よりお金がお金を産むところに寝かせるよう、絶えず寝かせ場所を探してさまよいます。
このようなことが、実際の日常生活ではお金が循環せずに、バーチャルな世界に溜め込まれているというのです。
こうした問題意識から、人々の間でも、もっと正常なお金のあり方を模索する動きが出てきます。
老化するお金とは、寝かせておくと利子がつくのではなく、逆に徐々に価値が少なくなっていくお金です。価値が減少するお金は、やがてこの世から消えて無くなります。
体内を流れる血液が骨髄で生まれて身体中を循環し、やがて老化して排泄されていくように、お金もやがて消滅することが自然の原理にかなうというものです。
実は、こうした「老化するお金」はオーストリアのヴェルグルという町で地域通貨として登場したことがありました。今から約80年前の1932年に世界恐慌を乗り切るために発行されたものでした。
月に1%ずつ価値が減っていくこの地域通貨は、まさに溜め込むと損になるので、どんどん日常の経済社会に循環してきました。公務員の給料や銀行にも受け入れられて、この町の経済活動が活発になったのです。
しかし、「お金は国家の独占的権利である」ということから、オーストリア政府により地域通貨発行を禁止されてしまいます。わずか13ヶ月の壮大な実験でした。
とても短い間でしたが「循環するお金」がいかに日常生活に潤いをもたらすものなのか、ということが証明された事案でもありました。
その後、アメリカでもコーネル大学を中心とした学園都市であるイサカ市でも地域通貨を発行する取り組みがなされます。
1991年の不況時に、やはり地域活性化を目的に発行されたものでした。発行されてしばらくは、地域のお店や銀行にも広く受け入れられたようです。行政当局も積極的に後押ししているようでした。
しかし、それから20年以上経った現在では、あまりイサカアワーは話題になってはいません。実際に、まだ使うことができるようですが、一時は広く浸透したこの地域通貨も、今では対応できるお店が限られているようです。
イサカアワーが流通する中で、積極的に受け入れるお店にイサカアワーが集中し、循環が滞ってしまったのが原因のようです。
しかし、お金というものを国家の管理から離れて自分たちの手で管理していこうという試みは、以前からあったのですね。
そして2009年に仮想通貨ビットコインが初めて運用が開始されます。ビットコインは、国家や地域という枠組みを超えて共通の価値観を持つ人々というコミュニティにより支えられています。
今までは、地域通貨など、ボーダーに囲まれた区域が適用範囲でした。それが、ボーダーレスになり、お金の概念も国家という管理主体から離れようとしています。
国家や銀行などの介さずにお金をやりとりできるピア・トゥー・ピア、そして、中央集権的でない分散型の管理システム。
こうした新たな時代のテクノロジーは、エンデの目指した等価の価値交換、そして、マネーゲームから人間本来の関係性に寄与する豊かさの循環に向かうのでしょうか。
やはり美しい理念も、人間の本能的な欲望に、ゆがめられてしまうのでしょうか。
仮想通貨の時代が始まった今も、さまざまなクリプトカレンシーが生まれています。そのどれもが、価値観の多様性に伴って、様々なコミュニティが誕生しています。
最後にエンデは言います。
人々はお金を変えられないと考えていますが、そうではありません。お金は変えられます。人間が作ったのですから
これから人類は、どんなお金を作っていくのでしょうか。
次々と生まれる仮想通貨の中から、真に日常生活に流通して豊かさの循環に寄与するものが生まれて来ることを願っています。