野心というものは一つ間違えばとんでもないことになることを、統一教会(世界平和統一家庭連合)という組織は教えてくれている気がします。今回は、安倍首相襲撃事件によって明るみに出たFFWPUをはじめとする内容について解説していきます。
そもそも、宗教は一種の娯楽でありたしなみのような存在でもあります。しかし、それは有料課金ゲームのように度を超えたコミットになってくると修羅場を作り出すことになるでしょう。宗教として知られるイスラム教やキリスト教、ユダヤ教などの有名なものは、現代においてその信者数を徐々に失っていると言われています。その原因に挙がるのが、テクノロジーの台頭です。
いわゆる、誰しもがスマホやパソコンを手にしたことで祈りを行うことを重要視しなくなり、より傾倒してもいいと思えるものができたからだという意見もあります。正直、現代において宗教がもたらす役割はコミュニティの維持や生成くらいであり、それが別のルートでも実現するならば宗教は不要であるとも思えます。
では、統一教会とは一体何なのでしょうか。
これは20世紀に設立された、キリスト教やその他多くの宗教を含み、過去のどの宗教よりも巨大な存在になろうとしています。そして、それはお金というツールを使って、影響力を肥大化させていたのです。米国や欧州、東南アジアなど、発祥の地である東アジアの小国がアプローチするには見当違いな場所に対してもそれを行っており、各国の要人がFFWPUの総会に名を連ねています。
例えば、Aというディベロッパーが作ったゲームがあるとします。そこに毎月何十万と課金したり、とんでもない高い家賃のところに住んで大金を灰に変えていく人々がいるとします。しかし、そんな彼らを見ても、問題だと顔をしかめることはありません。しかし、それがなぜなのかは誰も明らかにしません。
さらに言うならば、誰かを看取った後葬式を行いますが、こちらは100万円という価格は相場であり、墓をしまいたいとなったら200万円以上出さなければならないケースも多くあります。
しかし、別段こういった作法に対してお金を払うことに冷や汗をかく人は少ないでしょう。
今回の問題は被害者の被害金額の多さと要らないものであることにあるのだと思われます。もちろんそれ以外にも事件単位で見れば多くの問題はあるのかもしれませんが、大域的に宗教関連の事案を考えるとき、そもそもそこに多重支払いを行う必要がないからトラブルになっているのだと思われます。詐欺事件などの場合、自分の資金がなくなるわけですが、それが何のメリットも見返りもないから詐欺となるわけです。
もしも、自分が納得する形でお金を払ったのなら、そこには一抹のむなしさが残るだけです。
今回の件では世代間のギャップも同時に垣間見えることが判明しています。信者となった親世代の子供は、まったくもって教会に対して思いがあるわけではなく、単なるコミュニティとしか見ていない場合が多いと言われています。これが本当ならば、このような事態は今後も起こっていく可能性は否定できません。
例えば、現代を生きる現役世代がのめりこんでいるコミュニティは何があるのでしょうか。そして、それは後世によきものとして残っていくのでしょうか。もしも答えがノーに近いのであれば、最終的には先の事件と似たようなことが起きる可能性は否定できないでしょう。
統一教会の問題は非常に複雑ですが、それは一見何の問題もないようなところが発端になっていることが大半です。大病も革命も、後になって大事になるものほど、最初の段階では「無風」に近い状態なことが大半です。
これは本当に真実だと思います。もしかしたら自分はとんでもないことをしているのではないか、とんでもない巨大なブラックホールの中に入り込んでしまったのではないかと思うことは重要かもしれません。