このまえ、フリーランスとしてライターをやっていくことに関して少し述べたことがありました。
しかし、フリーランスのライターになるには案件を大量受注しなければならないとか、まったくもってフリーの真逆を言っているかのようなことを言いました。たしかに、これまで案件を受注してこなしたくなかったからフリーランスになりたかったわけで、その働き方を誰もが望んでいるはずです。しかし、「現実的に」という言葉ですべてが崩壊するのです。
現実的に考えればフリーランスになることに意味はない、と。
そもそも、フリーランスのフリーとは、自由を意味しており自由に稼げる人という意味がフリーランスにはあります。つまり、フリーランスは案件を受注して稼ぐ人ではなく、自由な人のことを言っているのです。Be Free to Earnと言い換えてもいいでしょう。
フリーランスとはいってもやりたくないことも徐々に増えてきます。最初は意気揚々に契約を結んだつもりが、いつの間にか全然やる気が起きなくなっているとかです。最近の世の中の移り変わり速いですから、それは驚くほど簡単に起きます。
例えば、ChatGPTが出てきたからライターとして文章を書くのが嫌になった、とか暗号資産が出てきたからGameFiで稼ぎたくなったとか、すぐにやりたいことは出てくるものです。そこで、「しょうがなくやる」か「食いつく」かの選択に迫られますが、食いつく場合、その代償として何かを失わなければならない場合が多くあります。なので、ChatGPTやクリプトの波に乗るということは別の大切だった何かを手放さなければならないといういことです。
しかし、それが本当にやりたいことではなく、途中経過、過渡期の話だと割り切れれば、辞めるのにためらいは生まれないでしょう。
最後に、フリーランスにこだわってはいけないということです。今の時代、フリーランスなんて言う働き方が出てくるほどその多様化は進んでいます。正解がない時代という言葉がありますが、時に「正解に沿うように頑張っている」ときがあります。それがフリーランスであることにこだわってしまうことです。
別段、結果が良ければいいわけでフリーランスにこだわる意味はありません。もしもフリーランスでうまくいかなければ、それ以外の方法で稼いでいくのがいいでしょう。それこそが本当の意味での「フリーランス」だと思っています。