暗号資産に関して興味を持ってから早くも1年以上が経とうとしている。VRゴーグルを買ったのも1年以上前で、もうそれは文鎮化してしまった。1年とは思ったほど長くはなく、本当に一瞬で過ぎ去ってしまうものだとも思った。それもそうで、1年前の記憶を振り返るのは1秒でもできる。
私が住んでいる地域は例のごとく人口減少が進んでおり、おそらく数十年後には限界化すると思われている。今の時点で16万人ほどいるにもかかわらずだ。しかし、時間の流れは速く、インドやアフリカが興隆する未来も受け入れがたい一方で確実に来るとは言われており、それは予想外の事実のように語られつつも、必ず来る。
暗号資産にメタバースは盛り上がっていたことは間違いない。しかし、考えるに盛り上がっただけだったのではないかと思っている。盛り上がりを見せるものは何もクリプトだけではなく、どうでもいい地球平面説だって同じである。
かといってそれらは事情を同じにするわけではなく、別々の場所でまったく異なる考えを持つ人によって共有されている。暗号資産がどのように使われていくかは、少なくとも暗号資産を盛り上げた人々ではない人々が画期的な方法を提案するのではないかとも思ったりしている。
テクノロジーの世界経済史では、これまで巻き起こってきた産業の変遷にて、代わりとなったものの業界はそれ以前の業界に比べて、プレイヤーの質が比較にならないほど異なると述べている。例えば、コンピュータ関連の仕事は、それまでに必要とされていた仕事でのスキルとは全く異なるものであり、付随してそれらの仕事に就く人々の生活習慣も比較にならないほど乖離していたことなどだ。
とはいっても、コンピュータの仕事についていない人々がコンピュータの仕事に就くことが異常に難しいかというわけではない。それらの仕事間の世界観が断崖絶壁を隔てているように語られていたということであり、一種の価値観の変更を迫られるものだということである。
暗号資産への期待が地に落ちているのは一時的なものか、それとも恒久的なものかはわからない。とはいっても、日本円や米ドルなどがこれから使われているか、それもそれで不明瞭になってきてもいるのは確かだ。しかしそれでも、去年まで一部界隈を盛り上げていた通称「クリプトカレンシー」は今後、法定通貨の代替手段になるかは何となく結果が想像できるかもしれない。
そう、代替手段にはなりそうにない、だ。
しかし、暗号資産というのはどうしても人類には必要に思えてしまうことが否めない感がある。現時点ではまだ手の付けようがない詐欺的アイテムかもしれないが、それがなぜ重要なのかは、時間が経つにつれ重要になっていくかもしれないとも思っている。
なぜ上記の分でかもしれないと言ったのかは、「とはいっても暗号資産なんていらないんじゃない?」みたいな未来が訪れることも否定できないからだ。どうやら、2022年に分かったことは暗号資産が失墜したことではなく、それしか考えていなかったということだ。
別に暗号資産じゃなくてもよくない?という一言が脳内から剥離してしまっていたのだ。それはまるで中世の暗黒時代のような思考停止ブラックホールへと突入する再現のようでもあり、できる限り回避したいことなのは間違いない。
去年まで持っていたほとんどすべての暗号通貨は、今のところコールドウォレットに入れてあるままだが、果たしてこの状況がいつまで望ましいのかもわからなくなってきた。それはFTXの破綻が象徴するところでもあり、中央集権取引所への圧力だけではなく、そもそもブロックチェーン×暗号×P2Pの帰結である様々なプロジェクトに対する圧力でもある。現時点では、それに対する解決策がそこまであるわけではなく、去年まで見せた色とりどり極彩色のトンデモ未来設計図に沿ったプランを遂行することしか出来ないというのが実際のところだと考えている。
おそらく、盛り下がっているものの、新しい潮流を探し続ければ必ずまたクリプトの津波は現れるだろうし、それは明らかにすぐに来ると思えたりする。すぐに、というのはあと100年以内には確実にという意味である。