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Dualityは日本語では双対性を指す。しかしこの双対性は平等とは異なるニュアンスを持ちながら、平等に近しい意味を持つように思える。
Equality(等価性)とDualityはどこが異なるのか。Equalityはよく聞く概念である。それはA=Bのことを示しており、同じことを表す。もしくは等価性である。では、双対性は何をしめすのか?
よく双対という言葉は数学や物理学において頻繁に耳にするように思える。例えば、双対空間や双対圏、双対群などである。これは基本的に系の対称性だったり命題の対称性に基づくものが多い。
ほかにも、AdS/CFT対応のマルダセナ双対性やM理論からの双対性、S双対やT双対、身近なところでは電圧と電流、圧電と磁歪、開放と短絡などが挙げられる。
しかし、現代において叫ばれるべき双対性はそれに限らないのではないかと思ってもいる。例えば、学歴があるかないか、所得があるかないか、体力があるかないか、それらはすべて、1か0かのように語られることがあるが、どちらかが凄いという話なのかどうかをきっぱりさせるべきではないかとも思える。
確かに、仕事ができる人間が評価されるべきだ。
しかし、それはあくまでもその人の価値観の上での仕事であることが多く、真実的な意味では仕事ができないという可能性もある。では、その人は仕事ができるのだろうか?ここで、双対性の出番である。
そもそもの問題だが、高身長がいいのか、低身長がいいのか、それともこうg買う歴がいいのか、そうでないほうがいいのかという、数値目標的な善し悪しの判断には当然限りがなくなっていく。最終的に到達するのは特異点のような、何もかもを無視する暴走状態だろう。しかし、そこに価値はあるのだろうか?最も重要なのは、なぜそのような特異点が存在するのかだと考える。
ブラックホールには特異点があるが、なぜそれが生まれるのか?そして特異点はただの点なのか?どう説明すればいいのか?こういった疑問は、ブラックホールを見たときに出てくるものだが、似たような思考のフレームワークはないわけではない。
例えば、誰かが誰かを非難し始め、それがエスカレートして言った矢先の顛末がどうなるのかであったり、急激に株価が上がりまくって資産が100倍になったとか、突然異常なほどの変化が見られ続ける場合の延長線上に立たされた経験はまれかもしれないが、ないわけではない。
そこで、その先の顛末をどのように解釈するべきなのかという点において双対性が使えるのではないかと考える。
つまり、ブラックホールのような極端な天体であっても、何か別の物理現象に対応しており、それを使って説明できるのではないかということが、実際の生活にも生かせるのではないかということである。
ブラックホールにおいては、その性質や計算上、非常に取り扱いにくいものがあるが、熱力学のような性質を持っており、マルダセナの対応などを利用すれば説明できる理論があることを考えれば、決して理解できない現象ではないことがうかがえる。
しかし、あくまでもこのような双対性のとらえ方は、まるで切れない木を切るためにチェーンソーを用意するようなもので、チェーンソーが万能ではないように、双対性がすべてを解決できるフレームワークではない。
もしかしたら、それ以上に効果的なものや魅力的なものがあるかもしれない。