※この記事には私見が含まれます。
4次元。それは誰も言ったことのない世界であり、宇宙の果てや深海のような新世界の一つである。
文章を書いて1次元を旅し、映画を見て2次元を旅する。宇宙に出て3次元を旅し、今まさに4次元に行く準備をしている。
今回はその4次元についていろいろと考えてみる。4次元という言葉を聞くと数学的、乃至は物理的な手法でいろいろと考察することがなされたりしている。コンパクト空間として多次元時空を予測することや、物理的事象からその形を予測することは可能かもしれないが実際のところ、そこに行った者はいまだにいない。
今私がいるのは3次元空間であり、しばしば4次元時空ともいわれる。しかし今回は時間発展を考えない場合の4次元空間を考えたい。なぜかというと、例えば3次元におけるリテラルな問題は2次元で考える。そしてその2次元な問題を1次元である線で考える。少なくとも先のような思考で次元階層を考慮すると、時間発展の必要性はいったんはないものとしたほうがわかりやすいからだ。
では2次元はどうか?2次元ならば、リテラルな問題は1次元で考える。この場合、1次元が3次元でいう面にそうとする。つまり、3次元では、読み書き(リテラル)を壁や紙などの平面に展開し、その展開された内容は線という1次元要素となっている。のに対して、2次元では、1次元がリテラルの展開元になる。そして、展開された内容に関しては0次元である点であらわされる。
すると、逆説的に4次元では3次元がリテラルを展開するインターフェースになることが予想される。そして2次元がリテラルの要素になる。そして、3次元が2次元で記述できるようなVRのように、4次元は3次元で記述できるはずである。
例えばの話が続くが、3次元において、2次元の輪を脱出することは簡単である。それは3次元方向へよればいいからである。4次元では、3次元空間で立方体に閉じ込められたとしても、4次元の方向によることで脱出することができるはずである。
よく四次元超立方体というものがこのような議題で取りざたされるが、あれは2次元平面で記述されている。しかし、本来ならばそれは3次元で記述されるべきである。これは、PCの前に座っていても、最高難易度の本を読んでいても4次元を想像することが困難を極めることを意味している。
4次元に行くには、3次元と対話すべきなのかもしれない。