お金、それは今の時代に愛よりも重要だとみなされているとんでもない化け物です。しかし、このお金をめぐり人々は神経質になりすぎている気がします。そもそもなぜ、そこまでお金にこだわり、その大小が神をしのぐかの如くとらえてしまうのでしょうか。
一つは、資本ないしはお金が社会的現象としてとらえられている点にあると考えています。そもそも、資本主義というのは長い人類史を見渡しても本当に最近出来上がってきたと言われており、それが今後続いていくのかも疑問だともいわれています。
時代は19世紀半ばまでさかのぼります。その時代には今でいう設備投資や人材投資、乃至は生活投資というのはほとんどお金によっては行われていませんでした。その代わりに、良い質の服や財貨、家財などを買い上げるためのツールだったと言います。ここ最近起きた人口爆発は長い人類史を見たらだれでもおかしい、そして異常であり何かが起きていると思わざるを得ません。
その理由を一つにお金に求めるならば、衣食住への資本投下が行われ始めたからというのが挙げられ、その後の時代においてエンターテインメントを代替するようになったと言えるわけです。
今までは、今でいう先進国と発展途上国の間の経済格差が問題になっていました。しかし、今では、その格差は微々たるものになり、代わりに先進国内の経済格差がとんでもないことになりました。これは明らかに今までの資本主義的な価値観が変容したと言えます。
お金に対する利用目的が高貴なものから衣食住、そしてエンタメへと変わってきたというわけですが、このような価値観の変遷が起こる舞台は個人的な趣向の中ではなく社会を背景にしたところにあります。
現在では、それがエンタメとして利用される以上のことを期待されています。その一つには医療、そして宇宙などが挙げられますが、例えば医療分野に資本投下がさらに加速していった場合、現在のような経済モデル、または資本主義の様相は一変したものになると考えられます。
21世紀は資本主義史の中にどういった内容で定義付けられるのでしょうか。それは一種に、転換点ととらえられるといういわれもあります。資本主義はここ数百年の間興隆してきましたが、これからはその興隆に対する考え方が変わり、代替すべき大きな価値観が現れるというものです。しかし、たった100年程度では代替案が出てくるかどうかはわかりません。
もしもポスト資本主義があるとするならば、23世紀か24世紀、もしかしたらそれ以上の未来になるとも考えられます。とはいっても、それが最終的にどこへ向かうのかは誰も知るところではありません。
昨今、イギリスをはじめとした欧州やアメリカでは物価高やインフレといった問題に直面しており、寄付される食糧よりも配布される食糧のほうが多いという状態になっています。日本はそこまでの状態ではないと感じていますが、そもそもなぜこのような文化がなかったのか割と不思議でもあります。
それは一縷に、お金というものの性質かもしれません。お金は非常に便利な信用確認ツールだとは思いますが、やはりどんな道具にも副作用はあるものです。お金を使うということは、その他遍く存在するテクノロジーを活用することとどこか共通項があり、それはどちらも一片のリスクをはらんでいます。
投資するにしても、それでどこかへ行ったり、何かを始めたりしても、何らかのリスクがあるということは考えなければならず、そのリスクが体系的に明文化できるものに収まらないこともあると身構える必要もなくはないと思います。