そして、この時代に生まれた様々な文化や芸術が、のちの産業革命につながっていく。産業革命がなぜイギリスで起きたのかははっきりとはわかっていないが、資本家がテクノロジーの勃興を後押ししたことが大きいとされている。
つまり、産業革命まで人類はテクノロジーに対して「経済活動の一部」という考え方を持っていなかったのだ。それまではテクノロジーは兵器であったり権力の維持に使われたり、道具に過ぎないものとしてしかとらえられていなかった。そして、テクノロジーは、仕事を奪い要因で、経済格差を助長するものだとしてかねてから、その進歩を煙たがられる存在であった。
現代では経済格差というとアメリカというイメージを持つが、当時のイギリスでも同様の経済格差は存在していた。8割の富を1割の富裕層、いわゆるブルジョワジーが保有する時代があったという。しかし、イギリスがどうしてそのパラドックスを破るに至ったのかははっきりとはしていない。
ただ言えるのは産業革命は、一人の天才によって動かされたのではなく、欧州全域で広まったルネサンスの延長として、欧州全域の名前も知らないような大量の金持ちの地主が続々と資本をテクノロジーに投下し、中産階級が勃興し、彼らがまたテクノロジーに資本を投下し仕事を変えていった、この流れから起きたものだということだ。
そこに先ほども述べた、イギリスの資本家がテクノロジーに対するバックアップを行い、イギリスが産業革命の中心地となった、といわれている。
では極東の日本はどうなのか。
日本自体は1860年ごろに明治維新と称した近代国家への転換を行ったが、ここで日本はそれまで江戸時代という長い「武家政権時代」を経てきている。この武家政権時代、というのは欧州の何に当たるのかを考えると、それのどれにあたるのかよくわからないというのが第一印象になる。
例えば、今までの話を考えれば、ここで日本の武家政権がヨーロッパでいう「宗教」に当たるのではないか、もしくはそれに付随する権力構造に当たるのではないかと思ったが、宗教という文脈でいうと、日本書紀や古事記などの日本神話から話を展開させる必要がある。しかし、日本書紀からどうやっても徳川幕府、ないしは鎌倉幕府に話がつながるとは思えない。
そもそも朝廷に対抗する存在として、貴族でなく武士というものが出現したが、これは何なのかよくわからない部分がある。もしかすると、これは欧州でいうルネサンス時代に出現した天才的な芸術家と何らかの共通点があるのかもしれない、とおもったが、どちらかといえばローマ帝国時代の騎士や歩兵に近いのではないかと思ってしまう。しかし、それだとすると「かなり世界から遅れた存在」が武士ということになってしまう。ローマ帝国が栄えたのは紀元1世紀だが、武士が登場したのはそれよりも1000年もあとの話だからだ。
かといって、十字軍のような宗教に準じた存在というわけでもない。では武士とは何だったのだろうか。それがわからない以上、日本と欧州を比較するというのは全く異なるバックヤードが存在するために非常に難しいのではないかと考えている。
【次回へ続く】