どうもふっくんです。
みなさんよく駅前で宗教のパンフレットを持って立っている人見かけませんか?
(※写真貼ろうと思ったんですけど著作権、肖像権が怖いので皆さんの想像に任せます(笑)「いらすとや」で書くとこんな感じです)
つ、伝われ、、、、、!!!!
この人たちってずっとニコニコしながら昼間から立ってるじゃないですか?
いつも何してるんだろうと思っていたので調べてみたら、この人たち、
「エホバの証人」
という宗教の方々だったんですよ
「エホバの証人」か!
(エホバの証人は興味深い憲法問題があるのでまた扱おうと思います。)
それで、思ったんですよね~
ぼく自身はいちおう中高が仏教系の学校だったこともあって宗教に対して極端に懐疑的なわけじゃないんですけど、気になりませんか?
ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」やニーチェの「道徳の系譜学」を読んでみて僕なりに出した答えはこれです!
(本の内容はまた別の機会に書こうと思います、、、)
自分でもびっくりなしょーもない答えです(笑)
両方とも切り口は違っても、人類は生き残るために目に見えないものを信じることにしたという点で共通してます。
そこで思ったんですけど
仮想通貨も技術として優れていても通貨としての価値には裏付けがありません。
あのウォーレン・バフェットもボロクソに言ってますし(笑)
それでも仮想通貨がこのように取引されているのは、みんなが仮想通貨の「目に見えない」価値を「信じている」からだと思うんです。
人類は目に見えない価値を信じ続けることで数々のイノベーションを生み出してきました。
仮想通貨もそうだと思います。
仮想通貨=宗教とか、そんなばかばかしいことをいうわけではなくて、
神を信じる能力と未知の技術の将来的な価値を信じる能力は同じだということです。
宗教と仮想通貨は全く関係ないように見えて根っこでつながっているって考えれば、どんなものでも頭から否定しにかかるのって、極論、人類の生き残りの道を一つ消すことになるように思えません?
周りにまだ仮想通貨について知っていない人がいれば、ぜひ「もったいない!!!」と言ってあげてください(笑)
ん~締めかたむずいな(笑)
変な感じで終わったかも、すいませんこれから努力して改善していきます、、、
んじゃ!!