
80年前の1945年8月6日は広島に原爆が投下された日でした。同年8月9日には長崎に投下され、8月15日に日本は終戦を迎えることになります。
世界各地で戦争の火種が勃発している今、平和に暮らせている私たちができることは何なのか。
核の恐ろしさを語り継ぐこと、戦争について知ること、関心を寄せること。
それも大切なことです。
でももっと誰でもすぐにできることがあります。
それは・・・
祈ることー。
「祈り」ーそれは科学的な根拠もない非現実的なものです。祈ったからといって思いが届くのか?叶うのか?亡き人の魂が本当に昇華されるのかー?
私は現実主義なのでそういうタイプの人間でした、10年前にある人に出会うまでは。
その方は日本の仏閣の僧侶の方々に仏教を教えている方で、ご本人自身も厳しい修行をされた方で日々仏教とは何か、仏陀の教えを説いてまわっていらっしゃいます。
仏の道はもちろんのこと、日本の神道にも精通していらっしゃり、様々な供養もなさっているので日本中、いや世界中から依頼があって日々忙しくあちこちを飛び回っていらっしゃる方なんです。
今日はその方から教えてもらったことをシェアしたく書き綴ることにしました。
その方曰く、人々の「祈り」にはそれはそれはすごいパワーがあるそうです。普通の人には見えないのですが、仏の道で修行した方にはそれを感じることができるのだそう。
そしてそれは神様に仏様に届くもので、誰かのために祈ることこそが最高の徳を積むことになる、と。
その方の出会いから10年、私も5分と短いですが毎日その方に教えていただいたお経をあげ、祈ることを日課にしています。
お経を唱えながら自分が毎日生きていること、家族が元気でいることを感謝し、そして先の大戦で日本のために戦い命を落とした方々が1日でも早く天に昇華されるよう、祈り続けています。
実はこの方、戦争で亡くなった方々の慰霊のため日本と世界各地をまわっていらっしゃる方でもあるのです。
一人でも多くの方の魂が昇華されるには一人でも多くの「祈り」が必要なんだそう。
その祈りとは立派な場所で慰霊のためのお経をあげることではありません。それはその方のような仏道の僧侶がなさっています。
私たちができること。
それは普段の生活の中で、毎日自分ができる時間にそっと手を合わせ、戦争で亡くなった方のために数分でも心の中で真剣に祈ること。一人でも多くの人がたった2、3分でも祈れば、その祈りは慰霊の大きな力となるんだそうです。近所の、旅先の神社仏閣で手をあわせること、これも大きな力を産むそうです。
こちらの記事でも書きましたが私の祖父は日本を守るために、平和のために戦い戦死した戦友の意思を継ぎ、戦後は日本のために、街のために、人のためにその人生をかけた人でした。
まもなくむかえる80年前の終戦日。
数分で良いので戦いで亡くなった方々に祈りを捧げてみませんか。










