先日88歳の友人、涼子さんの人生哲学について書いていて、人の数だけそれぞれの人生哲学がある、ということを感じました。
生きてから死ぬまで、生まれた時代、環境、出会った人によってそれぞれ自分の中に「こうだ!」という生き方ができるー
それがもしかしたら、これから生きる人の人生のヒントになるかもしれない。
だとすると、私の専門であるパーソナルカラーとか骨格診断とかについてももちろんこちらで、書いていきますが、それ以外に私が出会った人たちで心に残った方の人生哲学についてもちょこちょこ書き綴っていきたいと思います。
それがどこかで誰かの心に少しでもささることを願って。
今日は私の人生にものすごーく影響を及ぼした祖父のことについて。
祖父の三郎じいちゃんはとにかくものすごく顔が広い人で、街の人はもちろん、議員さんやお偉い方々も何か困ったら三郎じいちゃんのところへきて相談する・・というものすごく人徳のある人でした。
それもそのはず。
三郎じいちゃんの人生哲学は
「困ったら人がいたら助ける。」
というもの。
生粋の大阪の商人でお商売をしていたのですが、いろんな奇抜なアイデアで傾いていたお商売を立て直した人でもあります。
でもけっして「稼ぐ」ことに注力していたわけではありませんでした。むしろ人を助け、みんなが住みやすい街にすることに心血を注いでいました。そうしているうちに彼に人が集まり、商売もうまくいくという具合。
孫の私からみても祖父ほどの人間としての魅力をもった人にいままで出会ったことはありません。
でも、なぜ三郎じいちゃんがそこまでして人のために動くのかー。
それはじいちゃんの過酷な戦争体験からくるものでした。
笑いながら懐かしそうに「あはは、あのときはもう死ぬと思ったけどなあ」と呑気に言うその口調と内容が合ってないので、私はいつも子供なりにどう反応していいか、困惑していたのを覚えています。
三郎じいちゃんは日本兵として軍艦にのって南方にいったりけっこう激戦地に近いところにいたそうです。
3回、戦死という運命から奇跡的に助かりました。
1回目はアメリカが上空から激しく銃で撃ちまくって来た時。
ちょうど街中にいたそうですが、アメリカ兵士が空から逃げ惑う日本人を容赦なく撃ってきたそうです。赤ちゃんを連れた女性が三郎じいちゃんに「私はもうだめです、兵隊さん、お願いです、この赤ちゃんを連れて逃げてください」
三郎じいちゃんは赤ちゃんを預かって必死で逃げて、奇跡的に生き残りました。
2回目は軍艦で。
広島の呉で自分たちの船が出航するというとき。
上官から自分を含む10名ほどが下船するように命じられたそうです。理由はちょっとした怪我や体調不良等で完璧な戦力にならないから。
そして三郎じいちゃんたちが下船し、船が出航しました。軍艦に乗れなかったという悔しさをかみしめながら船を見送っていたそのとき。
目の前で軍艦はアメリカ兵の攻撃を受け大破、海に沈んでいったそうです。さっきまで船の上で話をしていた戦友は誰一人戻りませんでした。
そして3回目は防空壕で。
空襲警報がなり、あわてて防空壕にはいったときのこと。
しばらくして防空壕に爆弾が落ちて中にはいってきたそうです。でも・・・なんとその爆弾が防空壕にいた女性の肩から下半身に刺さり、爆発することなくその場にいた人間は助かりました。爆弾がささった女性は・・・風船のようにふくらみ息をひきとったそうです。でも、その彼女がいなければ、三郎じいちゃんを含めみな助からなかったはずです。
そうやって、いろんなことが重なって奇跡的に生き延びた三郎じいちゃん。
よく口にしていたのは
戦死していった仲間のためにも平和な日本を、みんなが幸せな世の中にしないとあいつらが無駄死にしたことになる。日本を守るために命をかけて死んでいったのだから、いま残っている人たちには平和で幸せに暮らしてほしいー
それが三郎じいちゃんの唯一の願いでした。
それから本当に世のため人のため
綺麗事でなく人生を人のために捧げてきました。
それが評価されて天皇から褒章をいただいた三郎じいちゃんでしたが、まだまだ自分はやるべきことがある、といってなんやかんややっていたのを覚えています。
三郎じいちゃんは愉快な人で優しくって、一度も怒ったところをみたことがありません。
でも1度だけ声を荒げたことがありました。
それはある人からのハガキを読んでいるとき。三郎じいちゃんの戦友が亡くなったという喪中のハガキでした。
私は「おじいちゃんのお友達、亡くなったの?」と聞きました。
すると三郎じいちゃんが声を荒げてこう言ったのです。
「友達じゃない!!!戦友だ!!戦友を友達なんかと一緒にするな!!」
いつも笑って戦争の体験を語ってくれた三郎じいちゃん、
本当はものすごく、ものすごく、ものすごく想像を絶する経験をしたことを、私はこの時気づいたのです。
そしてその経験が三郎じいちゃんの「人を助ける」原動力であったことを。
「困っている人がいれば助けるんだよ。そこに見返りはいらない。助けてありがとうと言ってもらえたらそれ以上嬉しいことはない」
時々ふと思います。
私は三郎じいちゃんのように損得なしに人を助けているだろうか?
まだまだ。
まだまだ三郎じいちゃんのようにはなれてない。
まだまだ、これからだ。










