前回の更新から随分と時間が経ってしまった。
あれから復職し、同部署の別支店に配属されてからもう半年くらいが経つ。(入社→休職→復職→再休職→再復職←イマココ)
辞めた方が心身の健康には良いこともわかっていたが、大した社会人経験もなければ特に目立った能力もスキルもない人間が今より良い環境に行けるはずもなく、しがみつくに至った。
この半年間は同じ職場の他の人達のように大した仕事もしていないが、復職してからのこの半年で分かったことがある。
これはあくまでも自論であり、世の中の正解かはわからない。暴論の部分もあるだろう。
少なくとも自分が生きている世界・見えている世界においてはこうだろう、とだけ。
①結局無理するしかない・我慢するしかない
私のような発達障害者(ADHD診断済み、ASDもやや併発しているとのこと)は組織に適応するために他の人よりも努力が必要。なぜなら元のキャパシティが狭いから。組織に適応するために外用の仮面を付け、組織に適応できるように無理して振る舞い初めてその組織に適応できる。いや、無理して振る舞っても空回りしてしまう場面もあるかもしれない。結局人生とは我慢の連続。時々「無理するな」と言う人がいる。明らかに無理をしている人に対してそう言いたくなる気持ちも分からなくは無いが、じゃあ無理せず行動して取り返しのつかないことになったら?無理をしないができる人はその後のプランが立っている人だけ。何の計画もなしに無理をせずダラダラと過ごすと痛い目を見る。だから辛くても無理してでもしがみつかなければならない。
②みんな心を殺して働いている
みんな、というのは言い過ぎかもしれないが、多くの社会人は心を殺してお金のためにやりたくもない仕事をしていることだろう。少なくとも自分はそうである。そしてこれがマジョリティであってほしいという願望を込めている節もある。仕事は辛いのが当たり前。お金を頂くというのはそういうこと。私だって本当は楽しい仕事をして、仕事が好きだ、これは天職だと思いながら仕事がしてみたかった。それで大金を稼いでみたかった。でもそれができるのはお金になるような何らかのスキルを持つ選ばれし者だけ。何のスキルもない無能な人間であれば何かスキルを身につけるための行動をしましょう。それができないと言うのなら幻想はさっさと捨てて奴隷のように働きましょう。
③誰も自分の人生の責任は取ってくれない
自分の人生の責任を取れるのは自分だけだ。あなたが自ら仕事を辞めてダラダラ過ごそうが中々次の就職先も決まらずその辺で野垂れ死のうが他人の人生には関係ありません。どんなに身内であっても所詮は他人なのでその責任を取ってくれません。自分の人生を決めるのは自分です。自分のケツは自分で拭きましょう。
以上
世の中の全員が全員このような苦しい現実を生きていることはないかもしれない。
繰り返しにはなるが、自分が生きている世界・見えている世界においてはこうだろう、と勝手に思っているだけである。
何の能力もスキルもない自分に焦り何か身になることをしたいという思いからとある分野の勉強はしているが、それが今後役に立つのかどうかはわからない。
もしかしたら自分の心を落ち着かせる一手段、自己満足に過ぎないのかもしれない。
だから私は今日も明日も組織に適応するために外用の仮面を被り、心を殺して出勤し、仕事をする。
今の会社を辞めて別の場所に転職しようとも、それは変わらないと思う。
社会人として働くために。
あー楽園に行きたい。!