NHK大河ドラマ『どうする家康』第35回「欲望の怪物」が2023年9月17日に放送されました。豊臣秀吉への臣従、浜松から駿府への移転、真田昌幸との沼田領引き渡し交渉が描かれます。
秀吉の会見の前日に秀吉がお忍びで家康の宿所(豊臣秀次の屋敷)に来ます。『どうする家康』の秀吉は裏表があり過ぎで、何を言っても裏を見透かせてしまいます。家康は秀吉の猿芝居を見抜きます。秀吉の狸寝入りも見抜きます。家康はすっかり大物感を漂わせています。
会見で家康は秀吉に陣羽織を所望します。これは表向き秀吉に臣従しつつも、秀吉の軍権を奪うという家康の秘めた野心を示したものという解釈があります。これに対して『どうする家康』では秀吉の発案による、やらせでした。
陣羽織を与えることは軍権を委ねることであり、秀吉にとってメリットがあるかが問題ですが、家康は豊臣政権において室町幕府の鎌倉公方的な東国の代理人の位置付けであったとする説があります。家康の源氏改姓がいつかという問題があります。『どうする家康』は永禄九年(一五六六年)の松平氏から徳川氏に変えた時とします。しかし、この時は関白近衛前久の推挙で行っており、藤原姓徳川氏だったとの反論があります。
源氏改姓を秀吉臣従後の天正一六年(一五八八年)の後陽成天皇の聚楽第行幸時とする説があります。諸大名は秀吉に忠誠を誓う誓詞を出しましたが、その誓詞に大納言源家康と署名しました(笠谷和比古『関ヶ原合戦四百年の謎』新人物往来社、2000年、24頁)。
この天正一六年は備後の鞆にいた足利義昭が上洛して出家しました。これで義昭は名実ともに征夷大将軍ではなくなりました。このタイミングで家康が源氏を名乗ったということは、豊臣政権下で源氏の棟梁的な立ち位置を認められたことを意味します。
『どうする家康』では小田原北条氏などを上洛させ、東国の戦をなくすことを家康の務めとします。現実にはソフトランディングできず、小田原平定、奥州仕置きが行われ、豊臣政権は全国を一元的に支配する統一政権になりました。
秀吉の生母の大政所が人質として浜松城に来ます。徳川家臣団の多くは大政所を敵の母親として敵意を持ちましたが、井伊直政は唯一、友好的に接したとされます。頑迷な三河武士と一線を画し、外交力を発揮した井伊直政らしいエピソードです。しかし、『どうする家康』では美男子であるための御指名でした。ルッキズムの犠牲者でした。
家康の上洛中に本多重次は大政所の周囲に薪を積み上げました。もし家康に何かあったら、薪に火をつけて大政所を焼き殺すつもりでした。これを後で知った秀吉は重次に反感を抱いて、重次は蟄居を余儀なくされたとする説があります。『どうする家康』では直政の発案でした。家康の忠義心だけでなく、大政所のルッキズムへの反感もあったのでしょうか。重次は冤罪で蟄居することになります。
大政所は自分の息子を理解できない怪物と言います。これは唐入りという泥沼の戦争を進め、秀吉が死ぬまで誰も止められなかった後の展開を予見します。しかし、直政が大好きという面食いである点で秀吉と似た者親子です。
家康は石田三成と出会い、星座の話で盛り上がります。家康と三成が最初から反発していたと描かれることが定番の中で新鮮です。三成の対決が悲劇として描かれ、視聴者の心を揺さぶることになりそうです。
実は家康は三成ら豊臣家奉行衆の統治の手法を徳川家臣団にはないものとして評価していました。家康は関ヶ原の合戦後に天下人になりますが、豊臣家の統治機構を吸収して伏見幕府を開くつもりだったとする説もあります。
天下統一により戦をなくすと語る家康に対して、秀吉は天下統一と戦をなくすことは別問題と語ります。戦をなくしたら武士は自分に従う理由がなくなるため、海の向こうの国の征服を考えています。唐入りは耄碌した訳でも貿易を認めさせるためのものでもなく、征服欲という欲望の怪物の結果でした。
三成と家康は共に戦争によって領国を拡大し続けなくても統治できるようにすることを考えていました。特に今村翔吾『八本目の槍』で描かれた三成は当てはまります。正に気が合いそうな二人です。
家康は真田昌幸と沼田領引き渡し交渉をしますが、昌幸は対決色を強めています。『真田丸』のように昌幸の視点に立っていると家康の要求が無茶と感じます。昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では一所懸命の鎌倉武士を描いており、自分で手に入れた領地を引き渡せという要求が受け入れられないことは当然と感じます。しかし、近世統一権力は、その一所懸命を否定することで統一権力となりました。このために家康は関東に移封することになったし、移封を拒否した織田信雄は改易になりました。
家康は本多忠勝の娘の稲(小松姫)を養女とし、昌幸の子の真田信幸(信之)と結婚させます。これは信幸の才能を高く評価したからとも、言うことを聞かない真田家の中で親徳川派を作るためともみられています。これに対して『どうする家康』では徳川への不信感を解消するために昌幸が提案したものでした。築山殿事件後の家康は迫力が出ましたが、陣羽織所望と言い、信幸の婚姻と言い、他人の発案に従ってばかりなところは変わりません。「どうもしない家康」です。
9月16日に家康の終盤ビジュアルが公開されました。「天下人への道を突き進む家康は白兎から狸(たぬき)親父へ」と説明されるように腹黒そうな陰謀家の顔です。『鎌倉殿の13人』で北条義時が終盤にブラック化しましたが、それ以上の雰囲気です。
家康の晩年の陰謀と言えば方広寺鐘銘事件です。これは卑怯な言いがかりでした。
9月15日には新たなキャストが発表され、片桐且元や林羅山の説明で方広寺鐘銘事件に言及しており、方広寺鐘銘事件も描かれるでしょう。
片桐且元「方広寺(ほうこうじ)大仏殿の再建を手掛けるが、その鐘に刻む銘文が家康の怒りを買い、徳川と豊臣の板挟みにあう」
林羅山「方広寺(ほうこうじ)の鐘の銘文を問題視して、大坂の陣のきっかけをつくる」
家康が悪辣な言いがかりを主体的に行うのか、周りに流されて方広寺鐘銘事件になるかは見どころです。
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