埼玉県さいたま市桜区道場の道場天満宮はNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で鮮烈な印象を残した武蔵国の御家人・畠山重忠ゆかりです。天満宮は冤罪で左遷させた菅原道真を祀ります。畠山重忠も冤罪で滅ぼされました。冤罪を仕組んだ側は藤原氏と北条氏という天皇や将軍を操る存在であることも重なります。
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道場天満宮は金剛寺の境内社でした。これは明治時代の神仏分離以前は当たり前でした。北野天満宮も朝日寺(東向観音寺)の神宮寺であり、僧侶が別当職に任命されていました。「祭神も、天満大菩薩として観音菩薩の化身とされた」(伊藤俊一『荘園 墾田永年私財法から応仁の乱まで』中央公論新社、2021年、158頁以下)。太宰府天満宮も安楽寺天満宮と呼ばれていました。
道場天満宮には「天神菅原道真公を祀神の道場天満宮」と題する掲示板があります。そこでは以下のように説明します。
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江戸時代後期に編纂された「新編武蔵風土記稿」によると、このあたりに、昔、大伽藍(大きな寺院)がありましたが、保元の乱(一一五六)の兵火のために焼失し、その後建久年中(一一九〇年代)畠山次郎重忠が当地を領していたとき、土中から観音像を得、これがもとの大伽藍の本尊であったものと考え、守護仏とし、一宇の道場を営んだということです。
これが、この天満宮の北側にある金剛寺の草創(はじまり)といわれ、当地の地名「道場」もこれに由来するといわれています。
天満宮も古くから金剛寺の境内の一角にあったものと考えられています。天満宮の社殿の正面の飾木に金剛寺の紋所「いちょう」と天満宮の紋所「梅鉢」が表示されており、金剛寺が天満宮に深くかかわっていたことがうかがえます。
天神菅原道真公には、「元禄第三庚年(一六九〇)金剛寺住僧寛映修造」とあります。
明治時代まで、拝殿前にいちょうの老樹巨木がありました。乳房形状のものが垂れ下がっており、それを削って煎じて飲むとお乳の出がよくなるといわれ、近郷からの参詣者で賑わったとのことです(島崎豊作が聞いた古老の話)。天満宮にある文久二年(一八六二)の絵馬に、このいちょうの老木が描かれています。このいちょうは明治四十五年(一九一二)の台風で倒れてしまいしたので、乳房状のものを切り取って天満宮に保存しています。昭和の初期まで多くの人々に利用されたとのことです。
天満宮は、学問の神であり、安政四年(一八五七)の寺子屋風景を描いた絵馬が掲げられています。
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境内掲示は、この辺りに存在した大伽藍が保元の乱(一一五六)の兵火で焼失したとします。しかし、保元の乱は京都で起きた後白河天皇方と崇徳上皇方の戦争です。戦争は崇徳上皇方の敗北で決着がつき、武蔵国に飛び火したとは聞きません。
保元の乱は清和源氏にとっては源義朝と父親の源為義の争いでした。この争いは武蔵国では前年の久寿二年(一一五五年)の大蔵合戦で決着がついていました。関東では為義の息子の義賢と義朝の息子の義平が対立していました。
この対立は秩父平氏の対立と結びつきました。義賢は秩父平氏の秩父重隆の婿になり、仁平三年(一一五三年)に武蔵国比企郡大蔵館に迎えられました。秩父重隆は秩父重綱の次男です。重綱には長男の重弘と次男の重隆がおり、家督は重隆が継ぎました。これに重弘の息子の畠山重能は不満を抱きました。
重能は為朝の息子の源義朝とその息子の義平と結んで対抗しました。義平と重能は久寿二年(一一五五年)に大蔵館を襲撃し、義賢と重隆を攻め滅ぼしました。桜区道場近辺の大伽藍が焼失する兵火となると保元の乱よりも大蔵合戦の方が現実的です。源氏の立場から見れば大蔵合戦は保元の乱の前哨戦です。その意味では広い意味で保元の乱の兵火で焼失となるでしょうか。重能の息子が重忠です。
境内掲示は埼玉県さいたま市桜区が重忠の領地であったとします。重忠の本拠地があった埼玉県深谷市畠山とは離れています。桜区を領地としたことには御家人・足立遠元との姻戚関係があります。埼玉県さいたま市を含む地域は武蔵国足立郡であり、足立遠元の勢力圏でした。遠元の娘が重忠の妻となりました。この関係で足立郡の中でも郡衙のある埼玉県さいたま市桜区は重忠の飛び地のようになりました。
鎌倉殿ゆかりの大宮氷川神社で初詣
道場天満宮の境内社には八重垣神社があります。八重垣神社は出雲が本社です。八岐大蛇を退治した素盞嗚尊が「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」と詠み、稲田姫命と住居を構えたことに由来します。菅原道真の菅原氏は土師氏から枝分かれしました。土師氏は野見宿禰が殉死者の代用品である埴輪を発明したことから土師臣姓を賜ったことが始まりです。野見宿禰は出雲国の出身です。
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