NHK大河ドラマ『どうする家康』第22回「設楽原の戦い」が2023年6月11日に放送されました。私の学生時代の日本史では長篠の戦いと呼ばれましたが、今は決戦地に因んで設楽原の戦いと呼ばれることが多くなりました。最新の歴史研究を反映しています。高校や大学を卒業したとして歴史の勉強を止めてしまうことはもったいないです。
タイトルは緑背景です。松平信康の子ども時代は虫の命も大事にしていました。凄惨な戦争を行う織田信長への反発が築山殿事件になるのでしょうか。信康は粗暴だったとの説があります。『どうする家康』でも信康が粗暴と伝えられることを裏付ける描き方をしていますが、それだけではない面も示します。
信長は家康からの長篠城救援の依頼に応えて出陣しますが、攻めようとしません。家康と信康と酒井忠次が攻撃を求めに行きますが、碁を打っていて真面目に向き合いません。これは腹が立ちます。後の文禄の役で黒田官兵衛は石田三成と会わずに浅野長政と囲碁を続け、三成を怒らせます。現代ならばゲーム中毒者に待たされるようなものです。
長篠の戦いで酒井忠次は武田軍の退路を断つ奇襲を提案しました。これは忠次の見せ場です。しかし、嫌な仕事を押し付けられ、貧乏くじをひかされた形になっています。信長と藤吉郎は卑怯です。自分ができないことを他人に押し付けて偉そうにする人間は21世紀にもいます。21世紀のビジネスパーソンに刺さるドラマです。織田家はブラック企業ならぬブラック大名と評されていましたが、ここでもブラックです。
忠次には戦いの後に信長から「忠次は後ろにも目があるかのような活躍だった」と称賛されたというエピソードがあります。これに対して忠次は「私は後ろの目で見たことはありません」と答えたとされます。忠次の真面目さや謙遜を物語るものですが、『どうする家康』の文脈では「嫌な仕事を押し付けた癖に他人を評価する資格はない」と思っていたかもしれません。
忠次の出陣に徳川家の陣中は悲壮感が漂いました。石川数正は海老すくいを歌って送り出します。数正と忠次が相手を理解し合っていることは嬉しいです。数正は西三河、忠次は東三河の旗頭と二人は徳川家の二大重臣でした。二人は競争関係にあり、相手の悪口を言い、足を引っ張る関係と描く作品もあります(火坂雅志『天下 家康伝』)。
武田勝頼は撤退を上策と理解していても突撃します。信長包囲網を構築する側であり、決戦にこだわる必要はありません。決戦で勝たなければ家中で自分を認めてもらえないという焦りがあったのでしょうか。勝頼の演説は将兵を奮い立たせるものですが、ドラマチックに盛り上がっても勝てないことは三方ヶ原の戦いの徳川家康が経験済みです。
長篠の合戦で勝利して武田の脅威を除いた信長は内部の有力者を脅威と感じるようになります。松永久秀や明智光秀の謀叛も久秀や光秀の側に原因を求めようとするから議論百出するのであって、単純に信長が力を持った家臣を敵視したと理解することが正解かも知れません。佐久間信盛の追放も無能故ではなく、有能故に排除されたと理解できます。
五徳はワガママ姫に描かれていました。この五徳ならば信長にチンコロしても不思議ではないと思わせました。しかし、信長がチンコロを奨励しており、五徳も信長の被害者でした。信長は当初、魔王らしさがありましたが、内部の有力者を脅威と感じ、密告を奨励するなど、ありきたりでつまらない権力者になっています。本能寺の変で滅んでも不思議ではありません。
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