NHK大河ドラマ『どうする家康』第15回「姉川でどうする!」が2023年4月23日に放送されました。サブタイトルに相応しく姉川の合戦で徳川家康が織田軍と浅井朝倉軍のどちらにつくか去就を迫られる内容でした。
前回は金ヶ崎の退き口が始まるところで終わりました。地獄の撤退戦ですが、ナレーションの「なんやかや」で済まされました。木下藤吉郎は自分の手柄を独り占めします。嫌な奴です。天下人になるとは思えません。
織田信長は家康に再出兵を命じます。嫌がる家康に耳元で圧力をかけます。家康にとってパワハラですが、明智光秀は信長が家康を特別に可愛がっていると嫉妬してそうです。本能寺の変も家康を重視する信長への絶望が動機になりそうです。
信長は武田信玄に備えるために家康に本拠地を引間(浜松)に移すことを命じます。家康の浜松移転は強敵信玄と積極的に対峙し、先祖代々の岡崎城に安住しない家康の進取の精神を示すものと描かれがちでした。ところが、『どうする家康』では信長に押し付けられた施策になりました。大河ドラマの主人公は自分が考えていないことも考えたものとして描く主人公補正が多いですが、『どうする家康』は逆です。
浜松は『どうする家康』の御当地として観光に力を入れています。移転を命じられて嫌々従ったとなると観光地盛り上げに冷や水になります。後に家康は豊臣秀吉から江戸移転を命じられます。近年は不承不承ではなく、積極的に江戸移転に取り組んだと描かれることもあります。しかし、浜松移転の例からすると『どうする家康』では不承不承従ったという伝統説に回帰しそうです。
合わせて信長は嫡男信康を岡崎城の城主とすることを命じます。築山殿事件の背景には浜松城の家臣団と岡崎城の家臣団の分裂があったとする見解が有力です。信長が対立の出発点を作ったことになります。信長としては長女五徳を嫁がせた信康の家臣団は家康以上に自分に従属性が高くなると見込んで岡崎と浜松の分裂を考えたかもしれません。しかし、信康が反織田、家康が親織田になったことは皮肉です。
姉川の合戦で家康は信長に先陣を押し付けられます。『三河物語』では家康が信長に先陣を要求したと格好よく描かれます。家康は「先陣でなければ明日の戦には参加しない」とまで言い切りました。ここでも『どうする家康』は逆主人公補正になっています。家康は後に関ヶ原の合戦で去就の定まらない小早川秀秋に鉄砲を射かけて覚悟を問います。『どうする家康』では信長から学んだことになりそうです。
家康は織田を裏切り、浅井朝倉に味方したいと述べます。浅井長政が信長を裏切ったのだから、家康が裏切ったとしても不思議ではありません。家康の希望を酒井忠次や石川数正がたしなめます。青臭い家康を出来る老臣が支えます。老臣の支えを受け入れるところが家康の度量であり、中々できることではないですが、大河ドラマの主人公(ヒーロー)らしさの点で批判もあるでしょう。
今回は忠次や数正が正論ですが、その後の史実を踏まえると単純ではありません。忠次は築山殿事件で信長に迎合する姿勢を示しました。徳川家の中でも親織田意識の強い家臣と位置付けられるかもしれません。数正は信長を倒した後の展望がないと主張します。小牧長久手の合戦後の数正も秀吉を倒した後の展望がないと主張して、家中で孤立していったのではないでしょうか。
次回は第16回「信玄を怒らせるな」です。信玄の西上は上洛を目的としたものとすることが通説ですが、『どうする家康』では家康が信玄を怒らせ、それで戦争になったと描くのでしょうか。この考えは信長が援軍派遣に消極的だったことの説明になります。
『どうする家康』第14回「金ヶ崎でどうする」小豆ではなく、阿月
『どうする家康』第13回「家康、都へゆく」足利義昭には飽食の害
『どうする家康』第12回「氏真」籠城は大事
『どうする家康』第11回「信玄との密約」もう一人のおんな城主