桶川ストーカー殺人事件は埼玉県警の警察不祥事です。埼玉県桶川市の桶川駅前で1999年10月26日、女子大生が殺されました。週刊誌記者が被害者の遺した言葉を頼りに取材を続け、警察より先に犯人に辿り着き、警察不祥事を明らかにしました。その真相は、清水潔『遺言 桶川ストーカー殺人事件の深層』(新潮社、2000年)にまとめられています。ジャーナリズムの存在意義を感じる仕事です。
桶川ストーカー殺人事件はストーカー規制法成立の端緒となりました。しかし、典型的な個人によるストーカー犯罪とは様相が異なります。集団的な嫌がらせ、攻撃でした。後に社会問題になる半グレ集団の犯罪に重なります。当時は半グレという言葉はなかったものの、今から振り返れば半グレの問題です。逆恨みした半グレが個人を攻撃した問題と捉え直せます。このような典型的なストーカー犯罪と異なる半グレ犯罪への対応は心許ない状態です。恋愛以外でも逆恨みした半グレが恨みを晴らすために個人を攻撃することはあります。
埼玉県警は執拗なストーカー行為に全く動こうとしませんでした。埼玉県警は半グレの味方ではないかと思わせる対応でした。この事件は民事不介入を金科玉条にした警察の消極主義が批判される傾向にあります。しかし、戦前の警察国家の反省は重要です。批判されるべきは半グレの味方をするような埼玉県警のスタンスです。
半グレへの甘さは2018年の大阪府警富田林署逃走事件とも重なります。富田林署逃走事件では容疑者が「要注意人物」とされていたにもかかわらず、逃走を許しました(「「要注意」も監視届かず=重ねた不手際、見直し急務―容疑者逃走・大阪府警」時事通信2018年9月30日)。警察は半グレ的な存在に甘いと言えます。
このような事件があると管理や監視の強化が主張されがちです。しかし、日本の勾留の運用には様々な人権侵害があると指摘されます。勾留の管理や監視を一般的な強化は警察による人権侵害を増やす危険があります。半グレへの甘さをピンポイントで止めれば良い話です。
逃走容疑者は警備員によって捕まえられました。治安維持も公務員の警察官よりも民間に任せた方が上手くいくのではないでしょうか。岐阜県警加茂署の巡査長がプールで女性に痴漢してプール監視員に取り押さえられた事件も起きました(「岐阜県警巡査長を逮捕=プールで痴漢容疑―大阪府警」時事通信2018年9月3日)。
また、警察が懇意の前科者の言い分だけを聞く、不公正な運用をしているのではないかという不信もあります。「Sと呼ばれる捜査協力者は実は前科者」との話があります(小川泰平『警察の裏側』文庫ぎんが堂、2013年)。『相棒season17』第4話「バクハン」では刑事が自分のネタ元の犯罪を見逃しています。単純にストーカー規制を強めれば解決する話ではありません。
女性警察官が暴力団員の恋人に情報を漏えいした事件も起きました。昼間は警察官、夜は準構成員状態です。この事件はフジテレビ系『バイキング』が2018年4月3日に特集しました。元暴力団組長の竹垣悟氏がゲスト出演し、暴力団とつながっている警察官が罪の見逃しをすることが沢山あったと話しました。
清水潔『桶川ストーカー殺人事件 遺言』(新潮文庫、2004年)は『遺言 桶川ストーカー殺人事件の深層』の文庫版です。文庫版は埼玉県さいたま市浦和区の須原屋で2018年8月にポップ広告でプッシュされていました。埼玉県警の不祥事であり、埼玉県民ならば読むべしと。読んでいて埼玉県警の傲慢さや責任逃れ体質に腹が立って仕方がない書籍です。精神衛生上良くはありませんが、『翔んで埼玉』のような作品で地元愛を高めるばかりではなく、地元の田舎警察の実態を埼玉県民は知る必要があります。
巡査が受け子になる警察不祥事の新たな闇