新型コロナウイルス感染症(COVID-19; coronavirus disease 2019)が拡大しています。新型コロナウイルス感染症に罹患された皆様と関係者の皆様に謹んでお見舞い申し上げます。私達は誰も経験したことのない世界史上初めての世界にいます。
私達は20世紀末にソビエト連邦の崩壊、冷戦の終結という世界史の教科書に載る出来事に遭遇しました。これよりも大きな出来事となると第三次世界大戦くらいになり、それ以上の出来事に生きているうちに遭遇することはないだろうと思っていました。しかし、もっと大きな出来事に直面しています。
患者の急増により、医療資源の不足が現実化しつつあります。既にベッドの不足は現実化し、軽症者は自宅やホテルなどで過ごすことになっています。軽症者であっても容体が急変することはあり、患者第一というよりもベッド不足を何とかするための措置になっています。
さらに人工呼吸器の不足が指摘されています。誰に人工呼吸器を配分するかという厳しい議論が出ています。生命・医療倫理研究会は2020年3月30日に「COVID-19の感染爆発時における人工呼吸器の配分を判断するプロセスについての提言」を出しました。この研究会は、東京大学大学院医学系研究科生命・医療倫理人材養成ユニットの生命・医療倫理学入門コース修了生を中心に設立されたものです。
これに対して舩後靖彦参議院議員は4月13日に「新型コロナウイルスの感染拡大に伴う「命の選別」への声明」を出しました。「高齢者や難病患者の方々が人工呼吸器を若者などに 譲ることを「正しい」とする風潮は、「生産性のない人には装着すべきではない」という、 障害者差別を理論的に正当化する優生思想につながりかねません。今、まず検討されるべきことは、「誰に呼吸器を付けるのか」という判断ではなく、必要な人に届けられる体制を整備することです」
私も「必要な人に届けられる体制を整備すること」優先に共感します。需要に応じた供給が市場経済に生きる民間感覚です。ところが、公務員など非営利セクターは現実の供給を固定的なものと絶対視し、供給から逆算する傾向があります。この供給側の理屈がまかり通ると、消費者の方が適応に努力すべきとの一辺倒になり、医療機関側に需要に応えるという民間企業では当たり前の発想を見出すことができなくなります(林田力「新型コロナウイルス検査抑制と和牛商品券」ALIS 2020年3月27日)。
この点は研究会提言も考慮しています。自分の担当範囲だけで不可と判断し、部門や組織を越えた横の連携をせずに門前払いする公務員感覚での「足りない」という主張は認めていません。
「たんにその病院内で使用できる人工呼吸器がないという意味ではなく、人工呼吸器の装着が可能な他院への転院も不可能で、人工呼吸器の販売会社、近隣の病院、行政等に依頼しても人工呼吸器の手配がつかない状況であって、救命の可能性がきわめて低い患者に対する人工呼吸器の使用を控えていても人工呼吸器が足りない状況を指す」
一般論のスタンスは、それほど乖離はないでしょう。問題は具体的に取り組めるかです。米国の電気自動車メーカーTeslaは2020年3月31日に人工呼吸器の供給を表明しました(Tesla plans to supply FDA-approved ventilators free of cost: Musk, Reuters, April 1, 2020)。これに対して日本は新規事業者の製品認可に10カ月以上かかり、異業種の参入が進みません(「人工呼吸器、参入に規制の壁 非常時対応に海外格差」日本経済新聞2020年4月10日)。
社会全体が注力すべきことは需要に応じた供給であって、現状の供給に応じた需要者の選別ではありません。そこの努力をせずに選別の議論に関心が集まる供給本位の議論には嫌悪感を覚えます。一方で提言のような議論がなされなければ、現場が恣意的に選別する危険があります。せめて提言程度の公正なプロセスは経なければならないと言わざるを得ない実態があります。この点で研究会の議論は意味があります。
提言は差別を戒めます。「性別、人種、社会的地位、公的医療保険の有無、病院の利益の多寡(例:自由診療で多額の費用を支払う患者を優先する)等による順位づけは差別であり、絶対に行ってはならない」。これは通常の医療でも、そのようなことはしていないでしょうか。
また、医療従事者を優先して配分することも当然視しません。「医療資源を医療従事者に優先して配分するのは、そうすることによって人的医療資源が維持され国民全体の利益を最大化することが期待できる場合に限定される。感染防止のための衛生材料、ワクチンや軽症段階から使用できる治療薬が開発された場合等については、医療従事者が優先配分を受ける合理性があると考える」
この文章は「患者が医療従事者であるか否かは考慮しない」の直後に来ており、提言が医療従事者優先に消極的であることは明確です。しかし、医療現場が「人的医療資源が維持され」を広く解釈して医療従事者優先の論理に使われる可能性を懸念します。
提言は「いかなる場合でも、苦痛の緩和のためのケアは最大限行われること」とします。これは原則論として正しいですが、人工呼吸器が必要な患者にとって人工呼吸器装着が苦痛の緩和です。「呼吸器を外すことがいかに残酷な行為であるか。人間息ができないことほど苦しい状況はない。水におぼれる状態を想像してほしい」(中島みち『「尊厳死」に尊厳はあるか、ある呼吸器外し事件から』岩波書店、2007年、119頁)。「苦痛の緩和のためのケアは最大限行われること」を条件とするならば、人工呼吸器を取り外した苦痛緩和ケアの具体的な中身を真剣に考える必要があります。
提言で積極的に評価できる点は、主治医の独断ではなく、医療・ケアチームの判断を求めている点です。「患者の生命の短縮につながりうる判断は、医療・ケアチームとして行い、検討内容を診療録に適切に記録するとともに、可能な限り患者やその家族等と共有する」
チーム医療は既存の医療でも求められていることです。林田医療裁判を取り上げた第12回「医療界と法曹界の相互理解のためのシンポジウム」(東京地方裁判所、2019年10月9日)でもチーム医療として対応していれば問題を回避できたのではないかとの指摘がなされました(林田力「第12回「医療界と法曹界の相互理解のためのシンポジウム」キーパーソンを議論」ALIS 2019年11月24日)。
新型コロナウイルス対策では行動の変容が強く求められています。それは必ずしも制限や制約として考えるものではなく、コロナ以前から言われていたことを積極的に推進する機会になっています。テレワークの普及は、時間や場所にとらわれない自由な働き方という働き方改革で求められていたことです。企業の問い合わせ窓口はコールセンターが三密職場になりやすいために電話受付を廃止してWebやメール受付に移行しています。これはデジタルシフトという方向性に合致します。
医療現場においてもチーム医療という、これまでも言われていたが中々現場では実現できていなかったことに真剣に取り組む必要があるでしょう。この点でも気になる点は林田医療裁判の舞台となり、新型コロナウイルスの院内感染を出した立正佼成会附属佼成病院の反応です。
佼成病院の二階堂孝副院長は感染者の発見について「医師が自分の感性で受け止めるしかない」と取材に答えました(「「院内感染」そのとき何が 新型コロナ“拡大”防げ」TBS 2020年3月25日)。個人の頑張りへの期待は前近代的な姿勢です。昭和の精神論根性論と変わりません。チーム医療とは真逆のベクトルです。
佼成病院は新型コロナウイルス対応の減収分として月額約1億2,800万円から約2億8,000万円程度を杉並区から助成される見込みです(杉並区長記者会見「新型コロナウイルス感染症対策に係る補正予算案」2020年4月13日)。事実上の半公営病院に近づいています。これまで以上に公正なプロセスや説明責任が求められる立場になっています。