『スター・ウォーズ』続三部作(シークエル・トリロジー)が2019年12月公開のエピソード9で完結しました。続三部作は以下の3作品です。
エピソード7『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』Star Wars: The Force Awakens
エピソード8『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』Star Wars: The Last Jedi
エピソード9『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』Star Wars: The Rise Of Skywalker
続三部作はエピソード6『スター・ウォーズ/ジェダイの帰還』(Star Wars: Return of the Jedi)の後の物語です。実はエピソード6終了後の物語は小説で続けられていました。それらはディズニーの権利獲得後にレジェンズ(非正史)という形で、なかったことにして新たな映画が作られました。小説ファンとしては素直に喜べません。
旧小説シリーズでは皇帝死亡後の帝国はスローン提督による盛り返しなどを除き、後退に次ぐ後退でした。権力を一人に集中する体制の脆さを描いており、現実味がありました。これに対して続三部作はファーストオーダーが銀河共和国を圧倒し、抵抗側はレジスタンスになりました。強大な敵という設定の方が物語を作りやすいのでしょうか。
旧小説シリーズより評価できる点は主人公レイがどこの馬の骨か分からないキャラになっていることです。小説版はルーク・スカイウォーカーやレイア・オーガナの子ども達が活躍し、アナキン・スカイウォーカーの子孫が名門一族化した感があります。名門一族化を防ぐために旧共和国のジェダイは独身のルールがあったとの設定も登場しました。
名門一族の活躍は個性や自我を重視する近代的人間観からは面白くないものです。もっともルークが後からダース・ベイダーの息子と判明したようにレイも重要人物の血族と判明するかもしれません。
制作者には親が悪人だから子どもが悪人になる訳ではないというメッセージを込めたいのでしょう。しかし、良いにしても悪いにしても親が大物でなければ子どもはヒーローになれないという閉塞感を覚えます。『ONE PIECE』のモンキー・D・ルフィも『NARUTO -ナルト-』のうずまきナルトも『ゴールデンカムイ』のアシリパも親が何者かが影響しています。親を背負わなければ物語が成り立たない。これが現代格差社会の傾向でしょうか。