NHK大河ドラマ『光る君へ』第六回「二人の才女」が2024年2月11日に放送されました。清少納言が登場します。「せい・しょうなごん」と発音しました。「清」は清原で、少納言は官職名であり、「せい」で区切ることが正しい発音です。
紫式部と清少納言はライバルに設定した方が物語としては分かりやすく受けるのでしょう。実際の紫式部と清少納言は宮仕えの時期が異なり、清少納言の方が大先輩であり、接点がなかったとする説があります。また、花山朝では藤原為時が花山天皇の東宮時代の侍読、清少納言の夫の橘則光が花山天皇の乳母子と親花山勢力という同じ船に乗っていました。
清少納言と言えば枕草子です。枕草子と言えば「をかし」の文学です。ドラマでは、まひろが散楽のシナリオを提案しますが、貴族の恋愛話は散楽を楽しみたい庶民には面白くないと否定されます。そこでは「おかしきことこそめでたけれ」と言われます。
この「おかしき」は現代語の「おかしい」に近く、古文の「をかし」(趣きがある)とは異なる印象を受けます。まさか読者を面白がらせるために源氏物語で鼻が赤い末摘花を登場させたのでしょうか。それでは低次元の笑いになります。「をかし」の枕草子に対して、紫式部の源氏物語は「もののあはれ」と評されます。源氏物語の「もののあはれ」が「おかしき」に通じるのか、別の価値を打ち出すのか注目です。
まひろが散楽のシナリオを提案した背景には散楽メンバーが五節の舞姫が倒れた話を散楽にしようとしていたことがあります。まひろにとっては取り上げて欲しくない話題です。ところが、まひろは舞姫が倒れた話に新たなテーマを盛り込みます。都合の悪い事実を隠蔽しようとするのではなく、別の筋書きで対抗します。表現の自由を否定しない点で作家の資格があります。
母の死を忘れない「まひろ」に対して為時は「自分が浅はかだった」と反省します。まひろは母の仇の右大臣家べったりではなく、左大臣家に繋がることを提案します。母の仇の事実を共有することで家族のベクトルが合致します。
藤原道長は父親の兼家や姉の栓子に結婚相手を勧められます。道長の婚姻は当時においては道長の高望みの感がありましたが、本人の積極アタックで実現したと描かれる傾向があります。周囲のレールの上を走ることになるのでしょうか。兼家は道長の兄に道兼に汚れ仕事を押し付けます。道長はホープ扱いとなり、恵まれています。このまま道長は本人が野心を持たず、努力せずに栄華を極めていくのでしょうか。
2023年の大河ドラマ『どうする家康』も、主人公の徳川家康はあまり考えず、家臣が盛り立てていました。文字通り「座りしままに食うは徳川」ですが、それがドラマへの批判になりました。しかし、逆境をバネにして運命を切り開く物語を求めることが逆に古臭くなっています。Garbage In, Garbage Outが自然の摂理です。厳しい状況を個人の頑張りで何とかするドラマの方が無粋です。
『光る君へ』第五回「告白」源倫子は善人か
『光る君へ』第四回「五節の舞姫」散楽の表現の自由
『光る君へ』第三回「謎の男」冤罪を作る主人公
『光る君へ』第二回めぐりあいとすれ違い
NHK大河ドラマ『光る君へ』住まいの貧困と権力の横暴