ここ数年、日々の授業や学生さんの指導にiPadは欠かせません。
実際に、授業ではこのアイキャッチのようにiPadを持ちながら授業をしています。
Apple Pencilがあればメモはほぼ代替できますし、Apple TVを使ってiPadのワイヤレス利用環境を作ると大教室での講義に活用することもできます。
文系教員の文系大学での活用はせいぜい、授業での個人的な教育方法の改善にとどまっていますが(それはそれで問題…)、それでもいろいろ工夫をして、学生さんが刺激を受けてくれることは嬉しいことだなと思います。
ウチはまだ教室のICT環境が整っているほうで、個人的にいろいろ工夫をすれば授業にICTを導入することは可能なのですが、学会などで他大学に行くと…
・持ち込みパソコンが接続できない
・wifi環境が整っていない・極端に遅い、もしくは外部の人間は使えない
・そもそも、備え付けパソコンが古すぎてまともに使えない
・プロジェクタがない(!)
などということはザラにあります。
これに加えて…
・学会開催校の教員が使い方を理解していない
というのも「あるある」です。
これ、世代の問題と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、そんなことないんですよ。
同世代の30代・40代の教員が「使ったことないんですよね~これ(笑)」みたいなことを言っているのを何度耳にしたことか…
いや、それ笑えないよ(苦笑)
とはいえ、まあ、大学はいいんです。
いや、良くないんですけれど、大学だったら学生さんが自分たちでバリバリICTを使ってくれれば良いし、教員が使わないとしても、学生さんのそうした環境を受け入れる姿勢があれば、問題はそれほど大きくないと思います。
…大学でさえ、いまだに「授業でのスマホ禁止、場合によっては取り上げる」みたいな先生もいるので、ICT環境を受け入れることそれ自体が難しい人もいるにはいるんですけれど💦
まあ、それはそれとして、僕が大学教育よりも心配だと感じているのは、義務教育段階の学校、とりわけ公立の小学校や中学校へのICT導入の状況です。
ALISのような先端的な取り組みに関心のある方々とのつながりのなかにいると、日本の学校教育へのICT導入の遅さをつい嘆きたくなりますし、それは大きな課題だなと思います。
とはいえ、もちろん教育の各方面が、ただただ手をこまねいているだけというわけではありません。
たとえば、文部科学省は2018年度から2022年度までの5年計画で、学校におけるICT環境の整備を進めています。
これは、2014年度から2017年度まで進められた「教育のIT化に向けた環境整備4か年計画」を受けた事業で、単年度で約1,805億円をかけて初等教育から中等教育機関のICT環境整備を進めるものです。
この5年計画の到達目標は…
・学習者用コンピュータ 3クラスに1クラス分程度整備
・指導者用コンピュータ 授業担当教師1人1台
・大型定時装置と実物投影機を100%整備
・超高速インターネットおよび無線LAN100%整備、など
となっています。
同じく、文科省が2018年3月に出した「学校における教育の情報化の実態等に関する調査結果(平成29年度)」によれば、日本の初等教育から中等教育機関の総数は33,638校で、これを上記の単年度予算1,805億円から割れば、1校あたりの予算配分は単純計算で約536万円です。
実際にこれらの予算は「地方財政措置」として配分されているということなので、これだけの額が直接学校に配分されるわけではありません。
ですが、それほど高いようには感じない到達目標…達成は可能なように感じます。
なのですが、同様の目標をほぼ同額の予算で達成しようとしてきた2014年度からの4年計画では、「学習者用コンピュータ(教育用コンピュータ)」は「1台あたり5.6人」(2018年3月)を実現したにとどまりました。
なかでも、小学校では「1台あたり6.4人」、中学校で「1台あたり5.5人」と、義務教育段階の導入スピードはゆっくりです。
とはいえ、調査結果の経年推移を見る限りでは、コンピュータの導入は少しずつ進んできているように見えます。
ただ、現場の状況を見聞する限りでは、ハード面での環境整備さえもなかなか進んでいないというのもまた、現実だと思います。
これはよく誤解されるところではあるのですが、学校教育というところは歴史的に、新たな技術を導入することに心理的なハードルが低く、むしろ積極的に新技術を導入してきました。
たとえば、ラジオ、テレビ、カセットテープ、CD、ビデオデッキ、DVD、そしてパソコン・インターネット、などなど
そもそも、日本の近代教育自体、西洋の教育制度や教育方法を継続的に導入することで成り立ってきました。
日本の学校教育は、時代に応じた新たな技術を取り入れつづけることで展開されてきたと言えます。
だた、近年、著しく学校教育への新技術の導入が「遅れている」ように見えるのは、技術の進化・変化のスピードと代謝があまりにも速く、教育が導入できる閾値を超えてしまっているところに問題があるのではないかな…と思っています。
僕はALISで記事を書き始めて1年ちょっとになりますが、このわずか1年ほどのあいだにALISやブロックチェーンをめぐってどれほど大きな変化があったか…
ALISを通じてほんの少しだけ、界隈の様子を感じただけでも、その変化の激しさに「とてもじゃないけれど、同じペースで教育がこの変化にキャッチアップすることは難しい…」と感じています。
学校教育は新しい技術を導入することはできますが、基本的には「変化」についていくことができません。
というよりも、変化をしないことによって、またはゆっくりと時間をかけて変化していくことによって、教育という営みは成り立っているのだと思います。
なぜかというと、特に初等教育はそうだと思うのですが、常に変わりゆく社会の動きから少し距離を置いて、じっくりと何かを学ぶことができる環境を提供することが、学校教育の役割ではないかと考えるからです。
学校教育と社会との距離感については、以下の記事をはじめ、いくつかの文章をnoteに書きました。
記事の内容をごくごく簡単にまとめれば…
教育には「次の社会」を生み出すという役割があるために「今の社会」からは距離を取る必要があるし、実際に日本の教育はある時代まで、そのような役割を果たしてきた
というようなことを書きました。
教育は「惰性的な制度」だと言われることがあります。
それは良いか悪いかということとは別に、社会制度にはそれぞれに役割があり、その役割に適した性質や時間の流れ方があると思います。
教育を支えるそのような特殊な「時間の流れ方」と、社会の変化のスピードがあまりにも乖離してしまっていることが、今の社会と教育をめぐる「不幸な関係」を生み出しているのではないかと感じています。
そうした関係性によって、社会が教育を執拗に攻撃し、教育もまた必死に社会の攻撃から身を守ろうとしているのではないか…
本当は、お互いにもっと柔軟に関係を維持してきたはずの両者の関係性は、もう少しお互いの時間感覚を調整することで修復できるのではないかなと思います。
ICTの開発にかかわっている人たちは数年単位で、少なくとも3年~6年ぐらいのスパンでICTの教育への普及を考え、教育にかかわっている人たちは少なくとも1年単位で、ICTの動きにキャッチアップしていく努力が必要なのではないかなと思っています。
そうした姿勢が、少しずつ学校教育の環境を変えていくのではないかと期待しています。
…もちろん、もっと具体的な原因はいろいろあるでしょう。
ですが、ある課題について考えるためには、ミクロな視点とともにマクロな視点もまた必要だと思って、少し「大きな話」を書いてみました。
1つの記事で書けることは限られていますので、こうしたテーマについても継続的にコツコツと記事を書いていけたらと思います!