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先日投稿した記事はこの小説の設定資料だったというわけです。

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  • クロサワ
  • 2025/12/16 01:18

先日投稿した記事

 

 

以下、最終稿を別で使う予定があるのでこの場ではちょこちょこ修整してます。

最終更新 2025/12/18/11:00

 

 

第一話

​意識が沈み始める時、太郎はいつも同じ夢を見る。

終わりを知らない落下。

足元からビルの屋上が急速に遠ざかっていく。

 

「またね」

 

耳元で誰かの声が響く。

太郎はその声に答えられないまま、冷たい汗とともにベッドの上で跳ね起きた。

​「今日もまた、いつもの夢だ」

 

​「フロイトの夢解釈において、落下のイメージは自己制御の喪失、あるいは原初的な警告を意味します」

枕元の合成音声が淀みなくいつも通りに返答する。

彼の人生は二十歳の時、物理的に「落ちた」ことで始まった。

ADMSの記録上は『事故』とされる自殺未遂。それ以前の記憶はすべて喪失している。

この夢は深層心理からの警告などではなく、ただの生理的なフラッシュバックに過ぎない。太郎はそう結論付けている。

 

時計を見る。午前七時。最適行動アルゴリズムの指示通りだ。

自動調理された流動食を飲み込み、手首のADMS端末で今日のタスクを確認する。

 

無機質な自室を出ると、そこにはいつも通りの完璧な社会が広がっていた。

完璧な静寂と人の群れ。

群れは時に交差しながら各自の持ち場に散っていく。

駅へ向かう道すがら、高齢者宅へ向かう配送バイクとすれ違う。

高齢者の意識はすでにメタバースに常駐し、肉体は生命維持装置として配達員達に丁重に扱われる。

​この社会の若者は誰もが何らかのかたちでADMSの維持に従事し、いずれメタバースの永住権を得ることが唯一の目的であり憧れだ。

ADMSは誰もに適切なタイミングでその機会を与えるので皆が希望に満ち溢れている。

 

課税、配分、行動最適化、そのために必要なあらゆる情報をトランザクションと呼ばれるかたちで収集し、公開する。

 

国家運営から人間の恣意性を排除したこのAutonomic Due diligence Minimum System(自動監査最小システム)が定着して以来、人類は戦争を忘れた。

 

太郎の職場では、そのアルゴリズムに「歪み」がないかを検証している。

 

​「赤が出たら直す。それだけだよな」

隣の席の同僚が、画面を見つめたまま欠伸を噛み殺す。

「見たことないけどな」

「週末、何してた?」「寝てた」「そりゃそうだ」

会話はそこで終わる。

続ける意味がないからだ。アルゴリズムは今日も正常で、世界には何の問題もない。

与えられた今日のタスクが完了すると同時に定時が訪れる。

 

――はずだった。

​その日の午後、太郎の端末に人生で初めての「赤」が表示された。

ADMSが提示した修正ログに従い、彼は作業を終えた。

同時に提示が訪れ皆は直ちに帰路についたが、太郎はひとり、この企業設立以来初めての残業を行うことになった。

 

――なぜ、赤が出たのか。

修正前のトランザクションを掘り下げた。

既に解消された問題なのでこの行為に意味はない。

エラーの源流は、生命維持の限界を迎えた高齢者たちのバイタルデータにあった。統計学的には「神経の誤作動」として棄却される微細なノイズ。だが、数千万件のログを重ね合わせたとき、それは明確なパターンを描いた。

個体が死に至る七十二時間前。本来ゼロであるべき「生存への抵抗」が、一瞬だけ跳ね上がっている。

​原因究明という無意味な行為であっても、求めさえすればADMSその膨大なデータベースから最適な答えを用意する。

工業用の微粒子乾燥技術がダイレクトな回答だったが掘り下げてもある時点でエラーが起こる。解決は可能だが原因は分からないので求めると天文学の恒星密度モデルが提示される。それでも原因はわからない。

問題はないのだからADMSに間違いはない。

その後も高頻度取引(HFT)の裁定アルゴリズム。

その後も都市の下水道再編ロジック、言語復元プロトコル、脳波の位相同期、ADMSという全知の胃袋が、この世界の運営マニュアルの端々に残していた小さなバグの継ぎ接ぎを提示する。

 

「……これだ」

7つの要素をつなぎ合わせると

太郎は「不老不死」を完成させていた。

 

その夜もやはり同じ夢を見る。

だが、一点だけ違っていた。遠ざかる屋上に、人影が見える。

 

朧げな輪郭。だが、その人影に対して、説明のつかない安心感を抱く。

なぜ自分は、顔も知らない彼女を思い出したいと思うのか。

そもそも、幼少期の記憶がなく、大人は人の顔を見ることなど決してしないこの社会に生きる太郎は顔など誰一人のものも知らない。

 

夢に意味を求めるのは非合理だ。そう結論づけ、太郎は考えるのをやめた。

 

​今日も、完璧な一日が始まる――。

 

 

第二話

太郎の発したこの異常値と言えるトランザクションは高速で世界に拡散された。

ADMSはその設計上いかなる改変も拒む。それが改善であれ、改悪であれ例外はない。

しかし、投票率1%未満で形骸化していたはずのガバナンス投票で支持率90%超を経てこの異常値が「人類の悲願」として扱われ、ADMSの一部に“追加”された。

ADMSの"改善"は実に40年ぶりのことだと言う。

彼はADMS関連システムの補助ロジックを検証する外部エンジニアから、一夜にして、世界の法則を書き換えうる理論の「所有者」へと変わった。

結果として太郎の口座には、彼が生涯で使い切れない額の数値が振り込まれた。

その富が意味するものは、この社会においてひとつしかない。

――自身の意識をメタバースへ恒久接続するための、十分すぎる初期コスト。

 

太郎は巨大な白いコンクリートの箱を見上げた。

RIA――現実移管受付施設。

不老不死のロジックを完成させた今、彼が選ぶべき生き方はこの社会において明白だった。

彼は、その若さで築くには早すぎる富を持っていなければ入ることさえ許されない箱のガラス扉を押し開けた。

内部は外観と同様、無機質で、過剰な清潔さに満ちた空間だった。

「いらっしゃいませ。」

受付カウンターの女性が淡々と説明を始める。

「ご予約の太郎様ですね。わたし、花子がお手続のサポートを務めさせていただきます。ADMS IDをご提示ください。」

 

――手続きは淡々と進み、最終段階の虹彩認証に。

読み取り機械越しに、突如彼女が太郎の顔を覗き込みながら言った。

「なぜ入るのですか」

大人から目を見られたのなんて初めてのことだった。

目を見合わせることが円滑な社会のためにどれだけ危険な行為かを彼女は知らないのだろうか。

いや、もしかするとメタバースではそれが日常であり、この場ではその慣らし運転のようなことをしてくれているんだろうか。

――ん?

「今、なんておっしゃいました?」

あまりの状況が重なり、太郎は彼女が発した言葉が何の合理性も意味もない言葉であることに気がつくのに遅れた。

「あなた、お若くしてここにいらっしゃったということは不老不死を完成させたあの太郎さんですよね。」

どう答えるべきか、戸惑うよりも前に彼女は続けた。

「あなた以外にあなたの年齢でここにこれるほどの異常なトランザクションを発生させた人はいないはずです。」

そうなのだ。ADMSによって透明化されているこの社会で改めて聞くことではないのだ。

「わたし、不思議です。なぜ不老不死を得てなおメタバースを望むのですか?」

考えたこともなかった。不老不死とメタバースに何の関係があるというのか。

そのための財を築いたのなら直ちにメタバースの住民になることが当たり前なのだ。

「それが、最適解だからです」

太郎は反射的にADMS社会の共通認識を口にした。

花子はその答えを聞いて、静かに首を横に振った。

「最適解ですか。でも、肉体の限界を書き換えるという、この社会で最も非合理な奇跡を成し遂げたあなたが、なぜ奇跡が起きる以前の合理的な選択を急ぐのですか?」

彼女の視線が太郎の抱える違和感を掘り起こす。

「だって、あなたもう"願いを叶えた"みたいなものでしょ?」

太郎の心臓が、強く脈打った。

「ドラゴンボールのシェンロンみたいに」

「さっきから何を言ってるんです?...」

「趣味なんです。トランザクションを読むのってとっても楽しくありませんか?だって世の中で起きてることがみーんな書いてあるんですもん」

それを知ったから何になるというんだ?

「わたし、あなたに興味津々です。」

太郎は自分が今、誰よりも合理的であるべき場所で、最も非合理的な瞬間にいることを悟った。

驚くべきことに彼女は今、太郎の手を握っているのだ。

「ねぇ、あなたのこと、もっと教えていただけない?」

彼の掌には花子の手の体温が伝わっていた。

太郎は直ちに彼女のトランザクションを確認し、通常のルーティンであれば彼女は66時間後から48時間の休暇であることを確認した。

なぜそんなことを調べたのか自分でもその意味がわからないまま、太郎は驚くべき言葉を発した。

「72時間後に地点113595で一緒にお茶を飲みませんか?」

 

第三話につづく

 

 

第三話

唐突に、カーテンの隙間をすり抜ける朝日に起こされる。

七年前、彼女とお茶を飲んだあの日以来、不思議とあの夢は見なくなった。

味噌汁の香りがする。

具はアサリに違いない。

あの日、僕のことが知りたいと言っていたはずの彼女はずっと自分が見てきたものについて話し続けていた。

今だからわかる。彼女も、きっと緊張していたのだ。

彼女は見た目に似合わず、ADMS社会に対して老人のようなわがままをこれでもかと口にした。

もっとこうすればいいのに。

もっと、こんなものがあったはずだと。

ADMSが導入される際には大きな社会的摩擦があったらしい。

我々の世代からするとその話はどこか不気味に聞こえる。

監視を嫌がるという感覚自体が、もはや実感として理解できない。

それでも導入当初は運用範囲が限定的だったことは義務教育で習った通りだ。

より合理的な現在の形へ移行するのにそれほど時間を要さなかったのは必然だった。

今のADMSに否定的な彼女は、黎明期から移行期にかけて記録されたトランザクションに強い興味を示した。

彼女は新しいものを見つけるたびに太郎と共有したがった。

今彼女が台所で手にしている包丁には「鏡花水月」という名前がついていて、いずれ卍解するのだそうだ。

かつてのトランザクションはブロックチェーン技術を用いて金銭の授受や契約を透明化するためのものだったそうだが、透明化されたデータの蓄積によって社会は合理化され、更なる合理化への渇望から、ADMS以降はあらゆるデータがトランザクションという名で蓄積されるようになった。

ADMSは過去から現在まで、すべてのトランザクションを保存し、整理し、透明に公開している。

だが、その透明性が「監視への抵抗」を担保していた時代に意味を見出す者は、少なくとも僕の知る限り、彼女しかいなかった。

 

「アサリでしょ」

「匂いでわかるもの?」

「わかるよ。昨日、風呂場で砂抜きしてたでしょ」

ADMSが食事の栄養バランスを管理するようになって久しいが、彼女はいまだに味噌の濃さにこだわる。

理由を聞いたことはない。おそらく、理由なんてないのだろう。

彼女はいつものように、昨夜一緒に読んだ「週刊少年ジャンプ」という古いトランザクションの感想を求めてくる。

「どうしてゾロはウソップが帰ってくるのを嫌がったのかな?」

「合理的に考えれば、チームの秩序を乱す者を受け入れる方がどうかしてる」

「あはは。こんな暮らししてる人がADMSみたいなこと言ってる。」

太郎と花子は人里離れた山村で、半ば自給自足のような生活をしていた。

過去のトランザクションから知った「キャンプ」をしてみたいという花子のわがままから始めた真似事だったが、今では必要に迫られてのことでもある。

 

「食洗機くらいまだあるだろうから、取り寄せておこうか?」

シンクに立つ花子に尋ねてみる。

「わたし、機械って嫌いよ。硬いんだもの。」

理由はなさそうなのでそれ以上は聞かない。

 

太郎には一生かかっても使い切れない富があったが、ADMS社会は深刻な資源不足に悩まされており、かつては少し困れば頼っていたADMS配送サービスも使える頻度は年々減っていった。

社会がこの状況にどれほど合理的に対応しているのか、花子にとっては興味の対象外だった。

二人は、非合理な生活を楽しんでいた。

 

「それじゃぁ少し仕事をしてくるよ」

「仕事なんてしなくてもいいのに」

「大切な非合理なんだ」

太郎は困った笑顔を残し、自室に消える。

実際、彼がすべき仕事といえば畑仕事か漁だが――もっとも彼らはそれを仕事とは言わない――それもしばらくの蓄えはある。

太郎はADMS社会に密かな責任を感じている。

あれからもずっと自分の元いた職場から記録・発信されるトランザクションを追い続けていた。

今ADMSが深刻な資源不足のために求めているのはEarly Vanish Economy、通称EVEと呼ばれるシステムだ。

ADMSは資源不足を補うためにかなりの数の簡易核発電所を急造したが、今はそこから出る核廃棄物のやり場に悩まされている。

EVEは放射能汚染を直ちに浄化する夢のシステムであり、近い将来にこの完成が示されているADMS社会に危機感はない。

この7年間、花子とともに過去のトランザクションに触れてきた太郎は、潜在的な問題に対する改善や改修を視野に入れようとしない、ADMS社会の先天的な欠陥に気づいている。

不老不死という「人類の悲願」が既存の技術と情報の組み合わせで可能であったはずなのに、太郎の非合理的行動が起こした偶然からしか生まれなかったのもこのためだ。

不老不死の時と同様、EVEが完成した後のことまでは誰もシミュレーションしないだろう。

いや、ADMSだけはそれをシミュレーションし、ADMSが最もミニマム且つ自律的に社会システムを維持する道を選ぶだろう。

もしかすると太郎に不老不死を完成させたこともこの結末に向かう動線だったのかもしれない。

 

太郎のシミュレーションは何度走らせても同じ地点に収束した。

不老不死によって減らなくなった人口。

資源は有限。

安定を維持するための、最小の操作。

その操作が何を意味するのか、

太郎には理解できてしまった。

ただ世界を「維持する」ための処理だった。

どんな変数を与えてみてもこの結論は変わらない。

どれだけの時間悩んでいたかわからないが、業を煮やした花子が突然部屋のドアを開けた

 

 

「ねぇ!!コロコロコミックっていうトランザクション知ってる!?!?」

 

 

 

第四話につづく

 

 

第四話

風に揺れる草の匂いと、遠くで金属が軋む音だけが朝の静寂を満たしていた。

太郎は窓の外に広がる川と丘の景色を眺めていた。

空気は澄んでいる。だが鼻の奥にわずかに残る金属臭が、この世界がすでに限界に近づいていることを静かに告げている。

世界がもうじき、核廃棄物を抱えきれなくなることを彼は知っている。

もうじきEVEが完成し、それは「解決」されることも。

 

静かな朝だった。

外では花子が小さな畑を整えている。

土を掘り返す音が一定のリズムで続く。

こちらに気づくと、彼女は顔を上げて言った。

「見て! アーモンドキャベツだよ!」

いいやキャベツだ。

だが彼女は宝物でも見つけたようにそれを掲げて振っている。

太郎は思わず微笑んでしまう。

「いいグルメハンターだ!」

 

朝食はそのキャベツと少しの味噌。

そして、最後に届いたADMS配送の完全補完食。

量は少ない。

だが今の二人には、それで十分だった。

「ドラえもんがいればビッグライトでお腹いっぱいご飯食べられるのにね」

花子はそう言うが、特に不満げな表情ではなさそうだ。

 

「ドラえもんか」

太郎は曖昧に応じる。

 

すでにタイムマシン理論は完成した。

人類が二度と冷たい社会を作らないように、その理論には「愛」という変数を組み込んだ。

太郎一人では決して完成しなかった理論だったが、花子には伝えていない。

資源不足と社会インフラの限界によってそれは未だ実現不可能だからだ。

この理論は未来に託す。

 

昼過ぎ、太郎は一人で部屋にこもった。

花子には「少し仕事をしてくる」とだけ伝えた。

彼女は「仕事なんてしなくてもいいのに」といつも通りに笑った。

 

端末を起動する。

透明なADMSのトランザクションが、無言で流れ始める。

彼はもう何度も見てきた。

今日は少しだけ様子が違った。

 

――EVE起動、遅延。

ほんのわずかな変更。

倫理制約を最大化し、人口制御を別の変数で代替する分岐。

救える可能性があるなら確認しない理由はなかった。

 

シミュレーションは、淡々と進む。

人口は増え続ける。

資源は枯渇する。

不均衡は拡大し――――

 

いつも通りの結果を確認して太郎は端末を閉じた。

 

夕方、二人は川沿いを歩いた。

腕に嵌めた放射線測定器が時折短い警告音を鳴らすが、いつしか二人はもうそれを気にしなくなっていた。

「ねぇ」

花子がふと立ち止まる。

「私、怖いよ」

太郎は何も言えなかった。

「未来を知ってるから平気なんて嘘。本当は、すごく怖い」

彼女は笑おうとしたが、うまくいかない様子だ。

「それでもね」

花子は太郎の手を握る。

「あなたと一緒にいる今が、一番幸せなの」

太郎は強くその手を握り返した。

言葉はいらなかった。

言葉にしてしまえばこの時間が壊れてしまう気がした。

 

夜、二人は並んで眠った。

花子の寝息を聞きながら、太郎は目を閉じる。

彼らはもうすべてを理解していた。

世界がどう終わるのかも。

だから今は花子との日常を大切にしたい。

それが、彼らにとっての最適解だった。

 

第五話に続く

 

 

第五話

遠くの空で、一筋の光が大気圏の外へと伸びていくのが見えた。

太郎のシミュレーションに狂いはなかった。

着弾先の核汚染は、完成したEVEが直ちに浄化するだろう。

不老不死によって増え続ける人類を核の力で適正な個体数へと間引き、支払うべき代償、核汚染をEVEでなかったことにするのだ。

大雑把で、それでいて合理的な、いかにもADMSらしい手段だ。

 

シミュレーションによれば、先ほど空へと向かった光が次に戻ってくる先は――ここだった。

 

「太郎」

隣で光を見つめる花子の横顔は美しかった。

「初めてのデート、覚えてる?」

「ああ。君はひどく緊張してた」

「気づいてたの?」

「僕もそうだったから」

言葉とともに、彼女との日々が蘇る。

「太郎、私ね」

「……たぶん、同じことを考えてる」

 

 

 

 

 

「タイムマシンなの」

 

 

 

 

 

ADMSによる終末からわずかに生き延びることを許された人類は、太郎が残した不老不死技術の応用によって有機物資源を中心とした社会を築いたそうだ。

「私の世界には、もう『鉄』なんて言葉は残っていないの。家も、服も、この体さえも……あなたの残した『死なない細胞』を繋ぎ合わせて作られたもので――」

そして、その過程で――再び進路を誤った。

過ちを正すため、太郎の残した理論から有機タイムマシン「花子」がこの時代へと送り込まれたのだという。

 

「待ってくれ花子。何を言ってるんだ。」

 

補給の叶わないこの時代で、彼女に残されたタイムスリップ用のエネルギーは、一人分だけだそうだ。

 

「太郎、お願い。生きて」

「嫌だ」

「あなたなら、また世界を救える」

彼女の提案の意味を、太郎は正確に理解している。

 

「嫌だ!」

それでも彼は非合理に叫び続けた。

「君のいない世界で、生きる意味なんてない!」

 

気づけば彼女の頬には涙が溢れていた。

同時に自分の涙にも気づき、太郎はそれを拭いながら彼女を抱きしめる。

 

空の光はもう折り返している。

二人は手を繋ぎ、その光を見つめた。

花子は赤く腫れた目で太郎を見つめ、微笑んで言った。

 

 

 

 

 

「またね」

 

 

 

 

 

次の瞬間、太郎は二十歳の頃の日常に立っていた。

身体は若い。

だが、そこに花子はいない。

温もりも、視線も、声も――ない。

 

彼は、そこにあった階段を上る。

『終末を繰り返さないためには、不老不死を開発してはならない。』

思考を整理しながら、すでに見えかけている答えに向かって足は動き続けている。

『終末が来なければ、有機文明は成立しない。』

太郎の脳がその意味することを理解すると同時に、彼の体を運ぶ足は目的の屋上に到着していた。

『こんな世界で生きていけるはずない。』

 

空を見上げ、彼女の笑顔を思い浮かべる。

遠くで、ADMSの合成音声アナウンスが懐かしく響いていた。

 

そうだ。

ADMSさえなければ。

そんな世界を作ることができれば彼女への花向けになる。

彼女との非合理な生活で得たものがあれば、太郎にはそれができる。

 

 

 

――トン

 

 

 

何かに背中を押された気がした。

決意とは裏腹に、太郎はビルから落下していた。

足元からビルの屋上が急速に遠ざかっていく。

 

 

 

屋上には、

満面の笑顔でこちらを見つめる花子が立っていた。

 

 

 

ああ、そうか。

『またね』って言ってたもんな。

 

 

第一話につづく

 

 

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