熊谷の高城神社参拝後、深谷の瀧宮神社へ行きました。
深谷駅 線路の南側に鎮座しています。
境内入り口
境内へ続く橋から 線路に並行して流れる用水路 桜がキレイそうですよ。
赤い橋は「やすくに橋」。橋を渡ると右手に「日本基督教団深谷教会」、奥には大きな「英霊塔」と拘りのない(と思いたい)空間があります。
明神池
深谷市の中心地は南を流れる荒川、そして櫛引台地と北の利根川・小山川によって形つくられた妻沼低地からなっています。 ここ瀧宮の地は台地と低地の境目に位置し、秩父山地に降る雨は荒川の流れとなって流れ来て、 台地の地下深くに浸透し湧き水となって台地の北端にあるこの地に現れ、 大昔から人々が生活を営む場所として大事にされてきました。そうした痕跡が土器や住居跡として掘り出されました。
境内の池はその時代から続く湧水の一つで、豊かな湧水は人畜の飲料に、また田畑を潤す用水にと使用され、 多くの幸を授ける源を神様から戴いた清浄な地として、渾々と湧き出る神水は唐沢川の谷に流れ落つるが如く瀧に因んでか、 いつしか「瀧の宮」と称して神社を祀りました。
湧水にしては、ちょっと濁っていたのが気になりました。水量が少なかったのかなあ。
美しい拝殿です。
拝殿
太陽の恵みを体現された日の大神様の天照大御神、太陽の恵みを地上に活かして幸を授け給う豊受大御神、 海・山・里の幸々を授けて下さる山幸彦の名で知られる彦火火出見尊の神様をこの地に祀り、以来ここに暮らす 代々の人々は神々への感謝と豊穣への祈りお祭りごとを受け伝え、明治までは瀧宮山正覚寺が別当として祭祀を預かっていました。
深谷の地が関東地方を経営する上で大切な処と悟った上杉氏は康正二年(一四五六)深谷城を築くと城の西南に位置する瀧宮神社を坤門(裏鬼門)の守護神として崇敬すると共に、 この湧水を城のお堀に引き込み用い、領国安寧の御神徳を歴代の城主は願い深く信仰し崇敬の誠を捧げてきました。
寛永十一年(一六三四)太平の世になると深谷城は廃されましたが、深谷は主要街道の一つ「中山道」の宿場町として栄え、 当社は仲町・本町・西島の鎮守「瀧宮大明神(たきのみやだいみょうじん)」或いは「大神宮瀧宮(だいじんぐうたきのみや)」 として心の拠り所とされてきましたが、明神様へ寄せる敬神の思いは脈々と今に続いております。
拝殿脇の額殿(額堂) 装飾彫刻が美しいです。
内部には伊勢参りや富士山参拝の絵も掲げられていました。
拝殿の裏山には富士浅間神社
お稲荷さんや祠が集められていました。
御嶽神社
拝殿左には八坂神社
八坂神社の拝殿前の左右にご神水が湧き出ています。
八幡神社、豊受神社も境内社として鎮座しています。
背の高い、生き生きとしたご神木でしたよ。
境内全景
境内では、「ふかや桜まつり」「深谷ねぎまつり」で賑わうようですよ。
式内社という古い歴史があるわけではありませんが、台地のへりに辺り、湧水もあり、土器や住居跡も見つかっていることから、かなり古い時代から祭祀場所だったのかもしれません。境内の空気感からは、江戸時代、中山道の宿場町として栄え、地元の人々が集う氏神様という感じでしたね。賑やかなお祭りの様子が目に浮かびました。
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