2017.9.8~11 親友と二人でオヤジ軍団九州旅行(佐賀~長崎~大分~福岡)へ行きました。
9.10 「熊野磨崖仏」に立ち寄った後、同じ国東半島の両子寺(ふたごじ)へ行きました。駐車場に入ってクルマを降りる先に下りた相棒のオヤジがベンチに座って女性と話してる。むむ!っと思ったら、旅行のアンケート調査員にナンパされていたのでした(笑)その後、別の女性に捕まって私も調査対象に^^
仁王門
いや~、良い感じの石畳を上がる参道です。仁王像も肉感的?で動き出しそうでした。
文化11年(1814)の作と伝えられている参道の仁王像は、国東半島最大の石像仁王、見事な均整美を保ち満身の力をたくわえている、広大な仏域に力強く仏法守護の睨みをきかせている。≪安岐町指定有形文化財≫ 両子寺hpより。
仁王門 反対側から。駐車場からお寺に向かってしまったので参拝後にこの門へ下ったのでした。
稲荷堂
護摩堂
山岳修行の根本道場にして本尊不動尊をはじめ諸仏を祀る。(観音菩薩、阿弥陀如来、毘沙門天、歓喜天、)など、明治2年焼失後20余年の歳月を費やし、同25年に原型どうりに再建し、四方方形、扇タル木、二段化粧、殊に外陣の天井組木には故人の労苦が偲ばれる。両子寺hpより。
書院・客殿
両子寺(ふたごじ)は、
大分県国東市安岐町両子[1]の両子山中腹にある天台宗の寺院。山号を足曳山と称する。本尊は阿弥陀如来(大講堂)。九州西国三十三箇所第六番・国東六郷満山霊場第十三番。
養老2年(718年)に仁聞菩薩によって開創されたと伝えられる六郷満山の中山本寺で、修行の中心地として栄えた。江戸時代には杵築藩の最高祈願所となり、六郷満山の総持院として満山を統括する立場にあった。山門に続く石段の両脇には、江戸後期の作とされる国東半島最大級(総高245cm、像高230cm)の石造の金剛力士(仁王)像が立っている。境内は瀬戸内海国立公園内に位置し、その森は森林浴の森100選にも選定されている。紅葉の名所、子授けの寺としても有名である。
曲亭馬琴の読本に、この寺に題を採った『両子寺畧縁起 豊後州国埼郡』がある。1966年3月22日に大分県の史跡に指定されている。
両子寺 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2019年12月3日 (火) 15:20
鞍馬山の九十九折参道と似たような空気・空間でした。
大講堂本尊~両子寺木造阿弥陀如来座像
像の構造や形状から平安時代後期の和様の定型ともいえる定朝様の仏像の伝統を伝え、さらに鎌倉時代の新しい様式も取り入れた作品である。 県指定有形文化財(掲示板より)
鳥居をくぐって奥ノ院へ向かいます。
鳥居には「両所大権現」の額が・・・。両子寺の奥の院にお祀りしているそうです。神仏分離などまるでなかったかのように習合の状態が維持されていて・・・なんか嬉しいです^^
「追善生善供養」のため造られた「磨崖板碑」と14世紀中ごろの「国東塔」 いや~深い歴史を感じさせますね。
更に奥へ進むと・・・
入母屋造銅板葺の奥の院の本殿。屋根の半分は洞窟の中にあり、崖の斜面に柱を立てて支える懸造り。
建物は、弘化3年(1846)旧杵築藩主松平候の寄進によるものです。千手観音立像、両子大権現(男・女二天童子像)、宇佐八幡神像、仁聞菩薩像を崇め祀り、不老長寿と子授け申し子祈願の霊場として広く国内に知られている。両子寺hpより
いや~素晴らしい!
左下の写真は「両所大権現」
中央の「十一面千手観音立像」
「宇佐八幡神像」
「仁聞菩薩像」
天童天女の出現は宇佐宮若宮にまつる大葉枝皇子小葉枝皇子の双子(皇子皇女の双子)を両子大菩薩と崇め奉安したの説あり。
六郷満山の寺院は明治初年迄は神仏混淆であったので、宇佐六神を境内に六所権現としておまつりされていた。
又寺院によっては四所権現、三所権現としておまつりされているところもある。当山の場合は又異なっている。即ち両所権現である。奥之院昇り口に石の大華表(鳥居)の額に両所大権現とある。
又当山古文書に、「両子寺鎮守堂は主座千手観音祀り」右脇ニ宇佐八幡大神ヲ左脇ニ仁聞菩薩ヲ祭レリ 左右ヲ号シテ両所権現ト称シ又ハ主座に拠テ観音堂ト唱ヘ九州西国三十三番ノ札所ナリ。http://nabaanooyado.blog.fc2.com/blog-entry-113.htmlより。
奥の院の左奥は洞窟へと続きます。
すごいです。長い長い歴史を感じさせます。割と広い空間でしたよ。
奥の院の岩屋洞窟..洞窟内に千手観音石像を祀り、不老長寿の霊水が湧出。
≪国東六郷満山の概略・・・国東天台寺院の総称≫
国東半島のほぼ中央に聳える両子山(721m)から放射状にくにさきの谷々は海岸へと広がり、約28谷を六つの里に分け、六郷と称し、この地に開かれた天台宗寺院全体を総称しして六郷満山と呼び、奈良、平安・鎌倉の昔より、宇佐八幡〈全国八幡の総本社〉の庇護と影響の下に神仏習合の独特の寺院集団と信仰が形成され、往時には半島一帯に185の寺院、洞窟、僧坊、を含めて約八百の大小の堂、また、石仏・石塔が、点在し、ほとけの里といわれる六郷満山仏教文化圏が開かれてきました。
爾来約1300年間の星霜、寺院の栄枯盛衰があれども、人々の素朴な信仰は連綿として今日まで継承され、仏像・野の石仏、石造物、諸民俗的伝承行事、そして恵まれた自然の環境の中にいにしえの素朴な息吹を感じることができます。そしてほとんどの寺院の開基は仁聞(にんもん)菩薩、AD718年開創以来やがて1300年の節目を迎えんとしています。両子寺hpより。
国道213号線沿い、宇佐市と豊後高田市との境にある「手打 与左衛門うどん」
通り過ぎた後、オヤジ二人して、なんか気になるなあという事で、Uターンして入りました。美味しい手打ちうどんでしたよ。
その後、両子寺・奥の院で祀られていた「宇佐八幡様」へ参拝の向かいます。
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