さて、初代・神武天皇の物語です。
この部分が、「まほろばチャンネル 神武天皇一代記 古事記・日本書紀「神武東征」youtubeで観られます。
神武東征(じんむとうせい)は、アマテラスの子孫である磐余彦尊(イワレビコ)が日向を発ち、大和の地、奈良盆地とその周辺を統治していた長髄彦を滅ぼし、日本の国を治めて、はじめて天皇の位についた(神武天皇)という一連の説話です。
++++++++++++++++++++
・日向の高千穂宮にイワレビコが居られた。
・イワレビコが45歳の時に、兄弟と家来を集め会議を行い、この国の中枢である大和の地において国を治める事が必要であると決まる。
・イワレビコは自ら船団を率いて兄弟たちと東へ向かう。
・速吸の門(東予海峡)で難儀するも、椎根津彦の神の案内のおかげで宇佐に上陸し、筑紫地方の岡田宮で1年を過ごす。
・その後、安芸国の多紀理宮に7年、吉備国の高島宮で8年、お住まいになられた。
・更に東に進み、大阪にある浪速の渡に上陸し、生駒山に向かい、その地を治める長髄彦の軍と戦う。その時、兄の五瀬命(イツセノミコト)は深い傷を負う。
・太陽を背負う形で戦うために海路を南へ向かう。途中でイツセノミコトは息を引き取る。
・兄の稲氷命(イナヒノミコト)、御毛沼命(ミケヌノミコト)が熊野の荒れた海に入り自らの命で海を鎮めた。イワレビコは兄をすべて失う。
・熊野で、大熊(土地神)が現れて、イワレビコも兵も皆、気を失うが高倉下(タカクラジ)が大刀を持ってきて、それにより熊野の荒ぶる神は切り倒され、皆、意識を回復した。
・その後、山をいくつも越えて進軍するも途中、道に迷う。が、八咫烏(ヤタガラス)の道案内のおかげで吉野川の川上を経て宇陀に至った。
・宇陀には兄宇迦斯(エウカシ)・弟宇迦斯(オトウカシ)の兄弟がいた。イワレビコは、兄弟を仕えさせようとしたが、兄のエウカシは悪だくみをする。それを知った弟のオトウカシはそれをイワレビコに伝える。それを知らないエウカシは、自分の仕掛けた罠にかかって死んだ。
・その後、多くのお供が加わり大和の地へ進む。幾つかの戦いを経て、最後に、再び長髄彦(ナガスネヒコ)と戦い勝利する。ナガスネヒコの妹婿である、邇藝速日命(ニギハヤヒ)もイワレビコの家来となる。
・こうしてイワレビコは、大和の地を平定し、畝山の橿原の地に都を定める。
・皇紀元年1月1日、西暦紀元前660年2月11日、イワレビコは日本国第一代天皇として即位。神武天皇と称された。
・神武天皇は後期76年3月11日、西暦紀元前585年4月3日、橿原の宮にて崩御された。奈良県橿原市畝傍山のふもと、橿原神宮にお祀りされている。
++++++++++++++++++++
椎根津彦(シイネツヒコ)関連の神社
保久良神社(兵庫県神戸市東灘区本山町)
椎根津彦神社(大分県大分市佐賀関神山)
籠神社(このじんじゃ)(京都府宮津市大垣)
高倉下(タカクラジ)関連の神社
石上神宮(奈良県天理市布留町)
彌彦神社(新潟県西蒲原郡弥彦村)
神倉神社(和歌山県新宮市)
熊野速玉大社(和歌山県新宮市)
高倉神社(三重県伊賀市西高倉)
高座結御子神社(愛知県名古屋市熱田区高蔵町)
八咫烏(ヤタガラス)に関連する神社
八咫烏神社(奈良県宇陀市)
弓弦羽神社(兵庫県神戸市東灘区)
熊野那智大社内・御県彦社(重要文化財) - 祭神:八咫烏。慶応3年(1867年)建立。(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)
熊野本宮大社(和歌山県田辺市本宮町本宮)
熊野速玉大社(和歌山県新宮市)
鴉宮(からすのみや)(大阪府大阪市此花区伝法)
兄宇迦斯(エウカシ)・弟宇迦斯(オトウカシ)に関連する神社
宇賀神社(奈良県宇陀市)
長髄彦(ナガスネヒコ)に関連する神社
石切剣箭神社(大阪府東大阪市)
邇藝速日命(ニギハヤヒ)に関連する神社
磐船神社 -「天の磐船」(あめのいわふね)とよばれる巨岩を御神体としている。
天照玉命神社(京都府福知山市今安)
石切剣箭神社(大阪府東大阪市東石切町)
藤白神社(和歌山県海南市藤白)
廣瀬大社(奈良県北葛城郡河合町)
矢田坐久志玉比古神社(奈良県大和郡山市矢田町)
飛行神社 - 大正時代に飛行機の神として創建。饒速日命は「天磐船に乗りて太虚(おおぞら)を翔行(めぐ)り」の古事[6]に基づき航空祖神とされ、空の神とも言われ信仰を集めている[7]。
井関三神社 - 天照神社(あまてる・じんじゃ)が崇神天皇2年(BC96年)に巨岩の磐座を天照国照彦火明櫛玉饒速日命の御神体として創祀。
國津比古命神社(愛媛県松山市八反地)
物部神社(島根県大田市川合町)
唐松山天日宮(秋田県大仙市協和)
新屋坐天照御魂神社 (大阪府茨木市西福井)- 崇神七年九月、崇神天皇より祭神の天照国照彦火明櫛玉饒速日命に天照大御神の諡号を賜る。後に景行天皇より天照皇大神の諡号を賜る。祭神同一視神社
真清田神社 - 尾張国一宮。(祭神の天火明命は別名を天照国照彦天火明命と社伝にいう)
籠神社 - 元伊勢の最初の神社。(祭神の彦火明命は別名を天照国照彦天火明命、又の名を穂穂手見命と社伝にいう)
ニギハヤヒ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年9月12日 (日) 17:43
磐余彦尊(神武天皇)関連の神社
岡田宮(岡田神社)福岡県北九州市八幡西区黒崎地区
多祁理宮(多家神社)広島県安芸郡府中町
高島宮(高島神社)岡山県岡山市南区宮浦
橿原神宮 奈良県橿原市畝傍町
++++++++++++++++++++
神武東征の物語においては、アマテラスが夢枕に現れてお告げをするという場面が幾つか登場します。
神武天皇(日本の初代天皇)
在位期間
神武天皇元年1月1日 - 神武天皇76年3月11日
『日本書紀』・『古事記』によれば天照大御神の五世孫とされる。
実在した可能性のある最初の天皇は、崇神天皇(第10代天皇)であるという説もある[3]。
即位76年3月11日、橿原宮に崩御。127歳。
神武天皇の即位年月日は、『日本書紀』の記述に基づいて、明治期に法的・慣習的に紀元前660年の旧暦元旦、新暦の2月11日とされている。
神武天皇 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年9月20日 (月) 07:11
神武天皇が実在したのか、しなかったのか・・・神話の領域を出るのは難しそうなのですが、上記のリンクサイトでは1年を2倍暦(春秋歴)とした寿命の考察がされています。
また、日本書紀には、日本に初めて太陰太陽暦が導入されたのは西暦 554 年だ と記載されているようで、更に 3 世紀以 前の日本の暦は、農耕に適した春から 秋までを 1 年、それ以外の季節を 1 年とする 2 倍暦年の春秋暦でを使っ ていたことが、「魏志倭人伝」に記載されているようです。
ならば127歳の半分の63~4歳で崩御されたという事になり、現実味を帯びてきます。どうなのでしょうね・・・・。
なお、日本では、建国の日が明確ではないため、建国神話(日本神話)を基に、建国を祝う日として「建国記念の日」が神武天皇の即位の2月11日に制定されました(1966年(昭和41年))。
++++++++++++++++++++
つづく~
archives「matol 神社基礎」
+++++現在進行中のシリーズ投稿の分類一覧 by matol+++++
・「HUAWEI P30 Pro」スマホHUAWEI P30 Proで撮った投稿まとめ
・「神社参拝リスト」参拝した神社の投稿まとめ
・「還暦過ぎのオヤジのつぶやき」日々のつぶやきのまとめ
・「ウミウシ」いままで出逢ったウミウシの紹介投稿まとめ
・「鳥(トリ)」 いままで出逢った鳥(トリ)の紹介投稿まとめ
・「植物探訪」いままで出逢った「植物」の紹介投稿まとめ
・「古物たちのお勉強」の紹介投稿まとめ
・「旅行記」今まで行った旅行記のまとめ
・「古物商に関するあれこれ」~まとめです
・「神社の基本知識をご紹介」「神社」に関して掘り下げて投稿
・[ネコの住むビトにゃん村] x[ALiS経済圏]/私的構想 私的な構想の妄想まとめ